大椎城周辺の景観


金剛地砦へ
 市原市金剛地火の見の台地を北の板倉砦側より臨む

↓前進 板倉砦   土気城郭マップ

(↑退却 本納城(茂原市公式ページ))

■ 金剛地砦 (こんごうじ 未完)

 ―国境の砦


  後藤和民1974は、金剛地砦を「火の見」のある台地(上記写真中央の台地)としているが、遺跡地図はその東対岸の台地(上記写真の左範囲外)としている。遺跡地図によれば、所在地は市原市金剛地内宮台。空堀、土塁、虎口。950m×1200m。「火の見」の方は、一部見ただけだが、明確に城郭と判断できるような遺構は見当たらなかった。台地上の畑には土師器片の散布が見られる。

 写真の川は、村田川本流である。道路は本納に至る県道大椎停車場金剛地線。金剛地の火の見の台地のふもとで、東(写真右)に「国吉」をへて「潤井戸」、内房、上総国府方面に抜ける山岳道路が分岐する。

 金剛地砦については、本納城主黒熊大膳亮景吉の砦という伝承がある。

 

土気・本納の合戦
●本納城 →茂原市公式ページのほか、『房総の城郭』該当ページなど。
 
金剛地の埋蔵金伝説
  1614年安房里見氏が改易になったとき、莫大な軍資金の一部を金剛地に埋めたというのだが。「金」剛地という地名から生まれたジョークか?

 

 

↓前進 板倉砦

(↑退却 本納城(茂原市公式ページ))

 

大椎城周辺の景観 ―村田川上流城郭群

 

タイトル 撮影地点(小字・旧地名) 大椎城主郭からの方角 撮影方向 主要対象
●大椎城 前田 大椎城ほぼ全体、大椎根古屋集落
●大椎城と立山城(1) 大椎橋西方(町田・崩ノ下境界) 南西 大椎城、村田川、立山城、御堂崎城跡、城谷台物見跡
●大椎城と立山城(2) 新大椎橋(城ノ谷) 北西 大椎城、村田川、立山城
●村田川防衛網(重要交通路をまもる城郭群) あすみが丘西南端(榊畑) 北西 大椎城、御堂崎城跡、立山城、八幡砦
●八幡砦下より見た立山城 八幡砦下(大門)
北緯35度31分28秒,東経140度15分0秒
北西 立山城、御堂崎城跡
●向砦(1) ―板倉砦側より 板倉砦北側下 
村田川支流右岸
南 約900m 向砦、小山城。
向砦の位置:北緯35度30分37秒,東経140度15分24秒
●向砦(2) ―大椎城側より 大椎城前田 南 約300m 向砦、板倉砦
●小山城 宮田 南東約1.2km 小山城、向砦
●板倉砦 板倉前 南 約1.5km 板倉砦、亥ノ台城。板倉砦の位置:北緯35度30分26秒,東経140度15分18秒
●金剛地砦 (未完) 南南西
約2.5km
金剛地火の見

 

イベントお知らせページ

土気の南西の守りの中核、大椎(おおじ[い])城とはどんな意味をもった城か?まずはここをご覧ください。
土気城郭マップ どんなところに城郭が設けられているか、ごらんください。見事に守りを固めています。土気の城郭群は土気の地域個性を示す大切な文化遺産です。一度失われたら二度と戻りません。大切にしましょう。
1/25,000地形図:東金(南西) ・・・大椎・土気

茂原(北西)・・・金剛地・本納

国土地理院の試験運用ページ。地形図閲覧システムの利用規定に注意。閲覧以外の利用はできません。「大椎町」の文字の上の台地が大椎城。「板倉町」の文字の上の台地が向砦。下の台地が板倉砦。その南西対岸が猪ノ台城。「あすみが丘9丁目」の「目」の付近が小山城。

 

後藤和民「大椎城の調査(上)」千葉県郷土史研究連絡協議会10-14頁。

後藤和民1974 「王朝後半の情勢と平忠常の乱」千葉市史編纂委員会編 『千葉市史 原始古代』千葉市1974年。

千葉市1974 『千葉市史 原始古代中世編』千葉市 1974年

千葉市1976 『千葉市史 資料編1 原始古代中世』千葉市 1976年

 

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大椎城遺跡めぐり part 1(周辺 2002年4月21日)

大椎城遺跡めぐり part 2(城内 2002年5月19日)

 

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