大椎城周辺の景観


板倉砦
 (遠景・南側より)

  

*文字を明瞭に出すためPNGファイルを使用。
 画像は粗くなっています。

↑前進 向砦   

↓退却 金剛地砦(未完)

 

■ 板倉砦 

 ―黒熊大膳亮に備える土気酒井氏の支城か


  千葉市緑区板倉町熊野神社(大権現社)周辺。空堀跡、土塁跡と思われる地形などが残っている(山本勇1980aには要をえた図がある)。付近に「堀ノ内」などの字名がある。

 土気城の南東約4km、大椎城の南1kmの地点に位置しており、すぐわきを村田川本流が流れる。また村田川にほぼ併行するかたちで本納(千葉県茂原市)より金剛地(市原市)をへて大椎にいたる古街道(現、県道大椎停車場金剛地線)が通る。この砦跡については、酒井胤治が本納城主黒熊大膳亮景吉備えて築城したといわれている「板倉砦」と見る見方が有力である。

 北200m対岸台地は向砦であり、間の谷は小食土付近に発する村田川支流が流れ、板倉砦の前で村田川本流に合流する。村田川本流の南西対岸には亥ノ台城が所在する。周囲との比高差はあまりないが、板倉砦は、向砦猪ノ台城,、さらには大椎城連携して、南の金剛地砦(市原市金剛地所在、黒熊氏の砦であったともいう)方面からの侵攻に備えるものであったのだろうか。なお小高春雄1994は本砦跡を15世紀代の館跡としている。

 

●土気・本納の合戦
 土気城主酒井胤治は1565年(永禄8年)の北条氏の土気来襲後、後北条氏についたが、本納城主黒熊大膳亮は安房の里見氏についており、両者の間に軍事的緊張が高まった。1569年(永禄12年)3月、黒熊大膳介側の土気攻撃計画を知るや、酒井胤治が本納城を急襲。3月28日、黒熊大膳亮は自刃した。土気酒井氏はその後、板倉右衛門を城代として本納城に入れた。なおこの板倉右衛門という人物は不詳だが、「板倉」という名字は気になるところである。板倉砦周辺を本拠におく家臣のひとりであろうか。さらに対本納黒熊方面を担当する土気酒井氏側の司令官だったか。(本納城については、茂原市公式ページのほか、『房総の城郭』該当ページをごらんあれ。)
 

●「板倉砦」の所在地

 酒井胤治が本納城主黒熊大膳亮景吉に備えて築城したという「板倉砦」をがどこにあったのか、必ずしも確定しているわけではない。たとえば山本勇1980は字宮ノ根周辺(本砦)を「板倉砦」と推定する。千葉市1974(後藤和民・渡辺太助作成表)、千葉市1985も同様。だが後藤和民1974は、その西対岸の台地を板倉城としている。また『千葉市遺跡地図』は、猪ノ台城の存在は「板倉町遺跡」として記載しているが、字宮ノ根付近の城郭跡を記載していない。ここでは便宜上山本1980にしたがった。
 
板倉の地名と土気酒井氏の重臣板倉氏
 もともと「竹河原」といった地名だったが、長享年間(1487-89)土気の酒井定隆が板倉(備蓄用倉)をおいたことから、「板倉」と呼ばれるようになった、という(山本勇1980など)。一方、土気酒井氏には板倉という名字の重臣の存在が何名か知られている(大網板倉長門守屋敷、大網城主の板倉氏、本納城城代板倉右衛門など)。めずらしい名字ではないので推測は危険だが、板倉砦周辺を支配した領主一族の出身である可能性があるのではないか。
 
●板倉の鍛冶屋敷と鋳物大工
 畑中雅子1996は「仏像伽藍記(藻原寺文書)の貞和2年(1346)の記事に鋳物大工の住所としてみえる土解郡堀之内郷を当地の堀之内に比定する説がある」としている。「鍛冶屋敷」の小字名の存在とあわせて興味深い。

 

 


板倉砦
 (砦内 ―宮ノ根・堀ノ内)

 切通し状の道(空堀跡?)から、台地西端、大権現宮の鳥居を見上げる。
 神社内。土塁の跡か。神社の敷地が主郭か。周囲には整形した腰曲輪状の地形がある。

土塁の跡か。
さらに東にもう一筋の切通しが南北に入っている。空堀の跡か。

 同上。
 土塁跡か?よくわからない。
 さらに東に空堀の痕跡らしき地形が。けっこう深い。

←退却 金剛地砦(準備中) →前進 向砦      

 

大椎城周辺の景観 ―村田川上流城郭群

 

タイトル 撮影地点(小字・旧地名) 大椎城主郭からの方角 撮影方向 主要対象
●大椎城 前田 大椎城ほぼ全体、大椎根古屋集落
●大椎城と立山城(1) 大椎橋西方(町田・崩ノ下境界) 南西 大椎城、村田川、立山城、御堂崎城跡、城谷台物見跡
●大椎城と立山城(2) 新大椎橋(城ノ谷) 北西 大椎城、村田川、立山城
●村田川防衛網(重要交通路をまもる城郭群) あすみが丘西南端(榊畑) 北西 大椎城、御堂崎城跡、立山城、八幡砦
●八幡砦下より見た立山城 八幡砦下(大門)
北緯35度31分28秒,東経140度15分0秒
北西 立山城、御堂崎城跡
●向砦(1) ―板倉砦側より 板倉砦北側下 
村田川支流右岸
南 約900m 向砦、小山城。
向砦の位置:北緯35度30分37秒,東経140度15分24秒
●向砦(2) ―大椎城側より 大椎城前田 南 約300m 向砦、板倉砦
●小山城 宮田 南東約1.2km 小山城、向砦
●板倉砦(ここ) 板倉前 南 約1.5km 板倉砦、亥ノ台城。板倉砦の位置:北緯35度30分26秒,東経140度15分18秒
●金剛地砦 (未完) 不明 南南西
約2km
金剛地火の見

 

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1/25,000地形図:

東金(南西) ・・・大椎・土気

茂原(北西)・・金剛地・本納

国土地理院の試験運用ページ。地形図閲覧システムの利用規定に注意。閲覧以外の利用はできません。「大椎町」の文字の上の台地が大椎城。「板倉町」の文字の上の台地が向砦。下の台地が板倉砦。その南西対岸が猪ノ台城。「あすみが丘9丁目」の「目」の付近が小山城。

 

小高春雄1994 『千葉県中近世城跡研究調査報告書 14集 −土気城跡・池和田城跡測量調査報告− 平成5年度』千葉県教育委員会、1994年。

後藤和民「大椎城の調査(上)」千葉県郷土史研究連絡協議会10-14頁。

後藤和民1974 「王朝後半の情勢と平忠常の乱」千葉市史編纂委員会編 『千葉市史 原始古代』千葉市1974年。

千葉市1974 『千葉市史 原始古代中世編』千葉市 1974年

千葉市1976 『千葉市史 資料編1 原始古代中世』千葉市 1976年

畑中雅子1996 『日本歴史地名 千葉県の地名』 小笠原長和監修 平凡社、1996年。

山本勇1980a 「板倉砦」『日本城郭大系第6巻千葉・神奈川』新人物往来社、1980年、129頁。

山本勇1980b 「向砦」『日本城郭大系第6巻千葉・神奈川』新人物往来社、1980年、156頁。

 

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大椎城遺跡めぐり part 1(周辺 2002年4月21日)

大椎城遺跡めぐり part 2(城内 2002年5月19日)

 

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