花見川水系の歴史的景観


大久保城 物見(櫓台)
 −花見川区浪花町−


 

  遠景・花見川河口側より

大久保城

 

 大久保城櫓台近影。手前(南)斜面には腰郭状の地形があります。

 (注)櫓(やぐら、矢倉)は、本来、武器・弾薬や食糧の蔵であると同時に監視(物見)や防御のための建物のことで、その建物を乗せる台が「櫓台」です。しかし一般に、この意味の櫓が実際にあるなしにかかわらず、盛土などして監視・防衛のためにつくった場所・施設のことが「櫓台」と呼ばれています。ここでもそのような意味で櫓台という語を使っています。

 写真は櫓台の上。平坦面が造成され周囲に土塁がまわっています(内部に一部高まりがあります)。藪のためわかりにくいですが、写真前方の暗い部分が土塁です。高さ1.5mくらいだったでしょうか。北側には土塁は見られません。西直下には花見川の旧流路が流れていたはずですが、現状から見るかぎり、南方向を意識しているようです。南は海があり、花見川河口の湊があります。また房総往還がとおります。

 同じく土塁。折れ曲がっているところですね。 
土塁に上がってみました。樹木が邪魔ですが、なければ、眺望がきくと思われます。

 わずかの樹間から、城の本体があったと思われる対岸の和洋女子大学検見川寮(写真中央建物)の方を見る。もとは地続きで、一個の台地だったのですが、今は、間に花見川(新流路)が通って、分断されているというわけです。写真下の方に花見川沿いにつくられたサイクリングロードが見えます。その手前に花見川が流れています。(むこうからこちらへの眺めは「大久保城より馬加城・武石城方面を見る
 足元を見ると、土器片がいくつも落ちていました。
 櫓台、北側の様子。
 西側の花見川の旧流路から、大久保城の櫓台を見上げる。その気で見ると地形から旧流路をたどることができますが、櫓台の周囲、かつての川底を含め、付近はすっかり住宅街になっています。

 

大久保城 −花見川水系の景観−へ

 

千葉西部の歴史的景観 ―花見川水系の城郭群

タイトル 撮影地点(小字・旧地名) 撮影地点位置 撮影方向 主要対象
大久保城 花見川・浪花橋 花見川左岸 大久保城跡、物見、花見川
大久保物見(櫓台)(ここ) 花見川河口 花見川左岸 大久保城物見、花見川
殿山城 字中谷 花見川左岸 殿山城
大久保城より馬加城・武石城方面を見る 花見川・浪花(字大久保・大久保城推定地) 花見川左岸 西 大久保城物見、馬加城、武石城、三代王神社、幕張新都心

 

1/25,000地形図:

千葉西部(北東)

国土地理院の試験運用ページ。地形図閲覧システムの利用規定に注意。閲覧以外の利用はできません。大久保城は「浪花町」の文字の左付近。その物見の位置は北緯35度39分31秒,東経140度3分49秒。殿山城は「東京大学総合運動場」の北。武石城は「武石一丁目」の「武」の字付近。

 

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