荒久古墳との関係は?
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千葉大医学部構内古墳・七天王塚の南東約800mのところに荒久(あらく)古墳がある。 1.古墳の形態がことなる、 2.地形的に生産基盤となる谷が別である 等の点から、両者は、別の集落の長の古墳と見る見方がある。しかし 1.荒久古墳は千葉大構内古墳より約1世紀後の、新しい時代のものである。 2.距離は近い。 すくなくとも何らかの関係があった可能性は大きいのではないだろうか。 ***** 荒久古墳がとくに注目されるのは、
という可能性があることである(『千葉市史』武田宗久氏執筆部分等参照)。むろん、これは<可能性>であり、<仮説>であり、批判的に験証されなければならない<推測>である。そもそも千葉国造がこの付近を支配していたかどうかもよくわからないのだ。しかしそれゆえにこそ<おもしろい>のである。 さて千葉大医学部構内古墳・七天王塚と、その荒久古墳をつくった勢力と関係あるとしたら・・・ますますおもしろくなる。 |
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遺跡の概要・報道・意義(工事中)
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現地説明会(南)―2号前方後円墳など
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現地説明会(北)―1号前方後円墳石室
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周辺の関連遺跡(準備中)
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遺跡めぐり 古代亥鼻をあるく (2002年9月16日(月)) |
七天王塚の謎(その1) (その2) |
●古代亥鼻をあるく(2002年9月16日遺跡めぐり)
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