発掘現場・現地説明会 ♪♪
  調査員のみなさん、暑い中、ご苦労さまでした!  

 

千葉大学医学部構内遺跡  part1

(千葉市指定史跡「亥鼻城」・千葉大学亥鼻地区構内遺跡)

―調査区南側(2号前方後円墳周溝周辺)―

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2号前方後円墳周溝(西方向)

 東から西の方を向いています。あとから発見された前方後円墳(以下、第2号前方後円墳と仮称)の周溝です。前方部(左端前方)と後円部(左手前)が接続するくびれ部分がわかります。古墳の周溝に土坑墓を設けることが流行した時期があるそうですが、この周溝には4つの土坑がみつかっています。第2号有天井土坑(写真中央右)には、天井部分がわずかですが、残っています。第1号・第2号土坑墓が周溝の右端前方に見えます。この写真ではわかりにくいですが、第1・2号土坑墓の右に1号住居跡があります。(写真をクリックすると大きな写真にリンクします。)
 
 

2号前方後円墳推定位置(東方向)

 調査区域は写真、左の土が出ている区域です。ちょうど木が生えている左わきあたりから、2号前方後円墳の周溝の北部分が見つかりました。前方部、後円部の本体は写真中央付近の地下にあると思われます。周溝のカーブから見ると、かなり大きいので、写真右縁の市道=通称「病院通り」にまで達するかもしれません。ここは建設予定地外なので調査の予定はないとのことです。
 
 

一号住居址(弥生時代後期)

 南西向きに撮影。柱と炉の跡がわかります。炉の位置は真中ではなく少し端に寄っています。人影で見えませんが、左に第2号前方後円墳周溝が通っており、第1号・第2号土坑墓がある、という位置関係です。
 
 

1号・2号土坑墓(奈良時代?)

 左手前が周溝の内側です。周溝の北の縁に掘られています。先にあるのが1号。手前の土坑が2号土坑墓です。古墳時代後期〜奈良時代?
 
 

2号有天井土坑(奈良時代?)

 調査範囲南東端ぎりぎりのところ。2つめの前方後円墳の周溝北縁にあります。遺体の上に天井がさしだしてくるように掘ってあるので、「有天井」土坑というのだそうです。写真でも一部天井がのこっているのがわかります。
 
 

1号有天井土坑(奈良時代?)

 調査範囲南東端ぎりぎりのところ。2つめの前方後円墳の周溝(白い帽子の男の子の足元の白線より右側)の中にあります。
 

 

 (主要参考文献)

千葉大学亥鼻地区埋蔵文化財調査委員会「猪鼻城(千葉大学亥鼻地区構内遺跡)説明会資料」2002年8月5日

大谷克巳『千葉の牛頭天王』大谷克巳教授退官記念会1988年

・以上の情報の多くは、炎天下、発掘調査にあたっておられた方々に負っています。

・本ページは、発掘担当者、そのほか専門家の校閲を受けていません。調査研究の途中の情報でもあります。最終的には調査委員会による正式な報告が参照されるべきです。

・GOZUさんより写真等の提供をうけました。

 

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遺跡の概要・報道・意義(工事中)

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現地説明会(南)―2号前方後円墳など

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周辺の関連遺跡(準備中)

遺跡めぐり 古代亥鼻をあるく
  (2002年9月16日(月))
七天王塚の謎

 

千葉大学医学部構内遺跡ページ 移動リンク <個別遺構>

1号住居跡(弥生時代後期)

1号前方後円墳石室(古墳時代後期)

2号住居跡(古墳時代前期

2号前方後円墳周溝(古墳時代後期)

3号住居跡(古墳時代前期)

木棺直葬墓(古墳時代後期以降)

4号住居跡(弥生時代後期)

1号有天井土坑(古墳時代後期以降)

5号住居跡(弥生時代後期)

2号有天井土坑(古墳時代後期以降)

6号住居跡(弥生時代後期)

1号・第2号土坑墓(古墳時代後期以降

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