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遺跡めぐり―長作周辺をあるく
  2004年11月28日(日)

 (4)実籾3丁目貝塚

千葉市ではみあたらない? 縄文時代前期の環状貝塚

― 習志野市実籾3丁目 ―

長作公民館前(10:00集合 yahoomap msnmap) →御成街道→浅間山長作城山城・城山貝塚(縄文早期)清水前貝塚長作諏訪神社長胤寺館跡妙見神社(天津神社)長作築地貝塚(縄文後期)長作築地外縁貝塚実籾3丁目貝塚(縄文前期)→バス停「長作小学校前」(12:30頃、解散)

遺跡めぐりのお知らせ  1/25,000地形図■習志野(南東) 国土地理院地形図閲覧システム。閲覧のみ。

空撮 長作城山城・城山貝塚(1/2500) 空撮 長作周辺の遺跡(1974年) 宇宙からみる縄文時代早期貝塚ベルト

 

▲実籾3丁目貝塚へ

 県道(主要地方道千葉・鎌ヶ谷・松戸線)=けみがわ道をわたり、習志野市実籾(みもみ)にはいるとすぐ目の前の畑が実籾3丁目貝塚です。長作築地貝塚(縄文後期)の北西約500m。写真右の草むらの向こう側の畑と前方の住宅地の間がほぼその範囲です。標高約22m。長径70mほど、耳のような形で環状に分布する縄文前期の貝塚(関山・黒浜)です。貝層部分はほぼ全体が畑として残っています。千葉市内では、縄文時代中期・後期の巨大環状貝塚が出現する以前の、縄文時代前期ではっきり環状に分布する貝塚というのはなかったと思います。

▲ 遠景

 下見のときに南側から写した写真です。中央前方の畑の真中が窪地になっています。その廻りの、少し高い場所をまわるように貝層が分布します。左の新しい茶色の建物のラインより奥、右の民家との間が貝層のめぐる範囲です。北西側に浜田川支流より浅い谷がはいっており、そちらに開口するようです。写真左の宅地の造成の際に、周辺の貝層分布の調査も行われました。手前寄りのほうには縄文後期の遺跡もあるようです。遺跡自体は写真全域をふくむ広い範囲にわたります。中世の土坑なども検出されているとのことです。習志野側の台地上には実籾霊園遺跡など縄文前期の遺跡が連なります。

 ▲北西の貝層付近から中央くぼ地

 環状の貝塚とその地形のほぼ全体を見渡せる意味でも貴重な遺跡です。貝層は写真右=浜田川支流へ向かう浅い谷のほうに開口します。

▲貝殻散布状況

 数箇所、貝殻散布のある場所があります(3箇所確認)。中期後期の巨大環状貝塚ほど稠密な貝殻散布はありません。西側の宅地造成に伴う調査によると、貝層の深さは50cm程度とのこと。

▲落ちていた土器片


▲おつかれさまでした

 都心にも近く、幹線道路のわきで、開発圧の強い地域ですが、その中で、畑の広がるほっとする空間でした。こういう空間は、文化財を伝えるためだけでなく、現に地域に居住する住民のためにも必要です。


yygucciさん提供の写真を一部使用させてもらいました。

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長作築地貝塚 補足(工事中)

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