遺跡めぐり- 長作町周辺をあるく | |
2004年11月28日(日)
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(1)長作城山貝塚と城山城
― 千葉市花見川区長作町 ―
長作公民館前(10:00集合 yahoomap msnmap) →御成街道→浅間山→長作城山城・城山貝塚(縄文早期)→清水前貝塚→長作諏訪神社→長胤寺館跡→妙見神社(天津神社)→長作築地貝塚(縄文後期)→長作築地外縁貝塚→実籾3丁目貝塚(縄文前期)→バス停「長作小学校前」(12:30頃、解散) 遺跡めぐりのお知らせ 1/25,000地形図:■習志野(南東) ※国土地理院。地形図閲覧システム。閲覧のみ。 |
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▲御成街道から長作城山城の土塁を見る 写真、中央付近で、遠めにも盛り上がった土塁の存在がうかがえる。 |
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▲浅間山 家康が昼食をとったと伝承されている浅間山。長作公民館の、御成街道をへだてた反対側。現在、バスの発着場「長作町」の北側の住宅街にあたる。 |
▲公民館から長作城山城・城山貝塚へ 公民館のすぐ前の山が城山城・城山貝塚です。写真前方は城山城の先端部。 |
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▲城山貝塚の貝層下 城山貝塚は、およそ7000年前、縄文時代早期後半、茅山式土器の時代の貝塚です。写真中央のくぼんだ台地斜面に小型のハイガイが大量に散らばっているのを下から観察できます。1960年2月、早稲田大学の金子浩昌らによって行われた小規模な調査で炉穴がみつかりました。写真は、土器形式について説明し、城山貝塚人たちは、炉穴をつかって、毎日がバーベキューだった、などと話しているところです。 |
▲城下から望遠で写した城山貝塚の貝殻散布状況 白いのが貝殻です。加曽利貝塚などの中期〜晩期の巨大環状貝塚が形成されるよりはるか前の、千葉市内で確認されている貝塚のうちもっとも古い貝塚のひとつです(→縄文時代早期貝塚ベルト)。ここは、中世の城跡でもあります。3方を急斜面で囲まれたこの台地は防衛上、有利だったのでしょう。 |
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▲下にこぼれおちていたハイガイと土器片 小さいハイガイです。ちっぽけな土器片ですが、裏表両面には、ハイガイの貝殻でつけた条痕紋がはっきりとついています。7000年前の縄文人たちの生活の痕跡がたしかにここにあります。 |
▲清水前貝塚へ 長作城山貝塚のすぐ下の低地に、清水前貝塚があります。明確な遺物がなく時期は不明です。写真の前方の台地をあがったところに地蔵作遺跡というやはり縄文時代早期(茅山式)の遺跡があり、清水前貝塚も、縄文早期の貝塚である可能性が指摘されています。 |
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▲清水前貝塚 |
(後記)11/22-12/1に宅地造成に伴う確認調査が行われました。その結果、斜面の貝殻は、台地上が削平をうけたとき投げ捨てられた土の中にまじっているものであることがわかりました(以上千葉市文化課による)。もともと台地上にあった縄文早期の貝塚が、城山城造成時またはそれ以降に削平をうけ、貝殻が斜面に散らばることになった、ということのようです。 | |
yygucciさんに写真を提供してもらいました。 |
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