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▲北東の盛土(凸1)頂上 | ▲北東の盛土(凸1)の北側 | ▲調査未了の盛土遺構(凸2) 盛り上がっているのがわかるだろうか。写真右半分が宅地造成地。未調査のままのところだ。盛土がなされ、宅地となりつつある。 |
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▲調査未了の宅地造成地 9/30強制終了で調査がなされなかった造成地南側の盛土(凸2)の箇所にいくつも土器片が落ちている。「ここに住む人は毎日、土器片拾える」などとジョーク(?)をとばす人も。 →180度回転パノラマ景観はこちら@まわる遺跡見学 |
▲南側盛土(凸3) 写真前方右。赤道を旧家のほうへ南に進むと、もうひとつの南側の盛土(マウンド)がある。 次は、旧家のお宅の場所を借りて、遺物の検討会。 |
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★救出・保護された遺物の吟味 | ||
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▲現状視察の次は、これまでに調査未了地区で救出保護された土器片などの遺物を観察した。なお証拠保全のため、土器片は土つきのままである。とくに写真では紋様など見にくいかもしれない。 | ▲1日の限られた時間だけでも、おびただしい数、大型の土器片が保護されている。(ここでの写真はごく一部である) | ▲中期から晩期まで各時期の土器形式がそろっている!石器や土器片錘もある。 |
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▲実物を手にとっての専門の先生の説明にみんな真剣に聞き入る。 | ▲加曽利E1式。波状口縁。環状盛土遺構がつくられる前の時期の、中期の土器片だ。 | ▲加曽利B2式(縄文時代後期) |
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▲真っ黒な土(炭化物?)のつまった土器もある。何だろう。 | ▲安行3式土器(縄文時代晩期)の網代底 網代(あじろ)というのは、竹や木の編み物。土器を作るとき、網代を底に敷いた跡だ。 |
▲安行3式などの縄文時代晩期の土器片 |
★縄文時代研究の最前線 | ||
飯塚さんの教室に移り、馬場小室山遺跡を理解するため斉藤弘道先生より「縄文時代中期という時代」、鈴木正博先生より「『盛土遺構』研究最前線」というお話を聞きました。縄文時代中期から後期晩期への社会変動、環状貝塚、環状盛土遺構など最先端の縄文時代研究を紹介しつつ、その中で、何がポイントか、馬場小室山遺跡がどういう位置を占めるのか、明快な展望を与えるお話で、おおいに知的刺激を受けました。そしてあらためて馬場小室山遺跡の重要性に感じいった次第。斉藤弘道先生、鈴木正博先生、鈴木加津子先生、飯塚さん、ありがとうございました。 →「14 最前線の視点から学ぶ馬場小室山遺跡研究会」@さわらび通信 |
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12月26日(前半) |
千葉市の遺跡を歩く会|
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