馬場小室山遺跡研究会・第1回ワークショップ 
 - 2004年12月26日(日) 現状視察(前半)仮- 

 全国的にも類例のない重要遺跡の現地視察と考古学の最先端の議論をふくむ、たいへんレベルの高い充実した内容の研究会でした。ここに掲載するのはほんのごく一部です。 「さわらび通信」に「研究最前線」をふくむ報告がアップされていますので、そちらを参考にしてください。なお次回は
  「小室山セミナー  ―音楽・絵画・そして考古学」
  2005年1月30日(日)午後2時〜3時半、三室公民館講座室
です。

※馬場小室山遺跡の環状盛土遺構は、中央窪地のまわりに環状に並ぶ5つの盛土(マウンド、小山)から成る。

大きな画像は→空撮(2) 

 
▲集合
 地元で保存運動に関わってこられた飯塚さんからお話を聞く。
▲代々小室山をまもってきた旧家のお宅
 14代以上にわたり小室山を裏山としてまもってきた旧家だ。そのお宅の前を通り、まず環状盛土遺構の周囲を歩いてみる。
▲屋号「オムロ(オモロ)」のお宅
 お宅の裏が環状盛土遺構の南西部分をなす盛土(凸4)だ。
▲南側の現状
 環状盛土遺構は径約140mだが、遺跡の範囲は、それより広く240×210m。環状盛土遺構が作られる以前、縄文時代中期の時期に、大集落が展開していた。写真、道路先のセブンイレブンのあたりまで範囲であった。
 ▲宅地造成地西側
 環状盛土遺構(凸3、凸2)は写真右方向。宅地造成で壁面が作られつつある。
▲宅地造成現場
 北西側の盛土遺構(凸2)の跡。ボランティアの考古学者たちが、9月30日に強制終されるまで必死で調査していた場所だ。前方の樹木寄りが調査未了のままになった箇所だが、盛土をして宅地とされつつある。
その向こうに南西のもうひとつの盛土(凸3)がある。
▲現地広告
 「三室の杜」とある。杜が消えて「杜」の看板が出来た。
▲説明版
 役所の無為無策を見るに見かねて地元住民が設置した。 
▲左、ゆるやかな傾斜面
 三室中学建設前から存在した、環状盛土遺構北斜面の平坦なテラス状地形。鈴木先生曰く、「まず掘削ありき」。環状盛土遺構の土をどこからもってきたかが重要だが、この地形は示唆的だ。環状盛土遺構(凸1)は写真左上の台地上。
▲小室社
 馬場小室山遺跡は、弥生時代から現代の宅地造成までまったくといっていいほど手をつけられることなく全国的にも稀有の良好な状態を保ってきた。小室山が古代より地域の住民により聖地として大切にされてきたからだ。その事情を物語る社。さていよいよ環状盛土遺構へ
▲中央窪地
 竹薮になっている中央窪地に分け入る
▲中央窪地
 環状盛土遺構と共通する縄文時代後期から晩期の黒色土層が存在するが、20〜30センチ程度の薄い層ということだ。
 ▲中央窪地から東側の盛土遺構(凸5)のあったところ(現住宅地)を見る  ▲人面土器出土した51号土坑の場所  
 盛土(凸1と凸5)のすそ部にあたる。
▲北東の盛土(凸1)へ
 縄文時代中期末、加曽利E4期、小室山の環状盛土の中でも、もっとも古い時期、つまり最初につくられたマウンドだ。


12月26日研究会(後半)

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