千葉市の遺跡を歩く会主催 遺跡めぐり
おしらせ
武石・幕張周辺
― 馬加康胤と武石氏の史跡をたずねて ―
※解散 12:30頃、JR幕張駅付近。※小雨決行。 ※一部通過地点は藪蚊がいる可能性があります。虫よけ対策を各自ご用意ください。
周辺地図
千葉西部(北西) 千葉西部(北東)
本年秋には「三山(みやま)の七年祭」が行われます。馬加康胤にまつわる伝説を秘めた七年に一度の大祭です。この機会に馬加康胤と武石氏ゆかりの幕張・武石付近の史跡を歩いてみます.
※武石氏・・千葉常胤三男武石三郎胤盛を始祖とする一族。現在の武石町を本拠とした。
※馬加康胤・・千葉満胤の長庶子(『鎌倉大草子』では次男)。常陸の大掾家の養子となったが、同家に実子が生まれたため、下総に戻った。馬加(現在の幕張)に居館を構え、自ら「馬加屋形」と称したという。当時、古河公方足利成氏と関東管領上杉家との対立が激化していた(享徳の乱の勃発)。馬加康胤は、1455年、原胤房(古河公方方)とともに、甥にあたる千葉宗家当主、千葉胤直(上杉方)を攻め滅ぼしたが、康胤討伐の幕命を得て下向した東常縁(美濃郡上郡)の攻撃を受け、翌1456年、上総八幡で戦死した。15世紀後半、本佐倉に拠点を移した後期の千葉宗家は彼の子輔胤が継承した。
(予定コース)
大久保城跡―愛宕山古墳―真蔵院・板碑―羽衣神社―武石神社(古墳)・武石城跡―大小塚―三代王神社―椎塚古墳―馬加城跡―宝幢寺―子守神社(素加天王社)―大須賀山砦(堂ノ山)〔馬加康胤首塚〕
※事情により変更あり。途中離脱可。
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