千葉市の貝塚群資料
 
 ・2006年5月19日(金)、国の文化審議会において、花輪貝塚の国史跡指定が答申されました。何よりも地主さんのご英断があったればこそです。心よりお礼を申し上げます。また千葉市役所ほかご尽力された方々に敬意を表するものです。
 (おことわり)
 ・以下の内容は、基本的に2004年2月の状況と当時得られた情報に限定されています。(※に新しい情報の所在リンクを最低限追加しました。)後日、2004年の調査結果ほか、最新情報をふまえたページを設ける予定です。

― 都川本流右岸・千葉市若葉区加曽利町ー


花輪貝塚

 

概要

 直径約120m(東西約100m、南北約140m)の縄文中・後期(紀元前3000〜2000年頃)の環状貝塚である。また付近一帯は古墳・奈良平安時代の集落跡等が重層的に存在しており、縄文時代から弥生時代をへて古墳時代・奈良平安時代にいたる複合遺跡である。史跡未指定。2003年、全域の住宅開発が民間企業により計画され、2004年1月下旬から3月の予定で、確認調査が行われている。もし全域が消滅するとなると、千葉市の文化財保護行政の整備以後、最初の環状貝塚の消滅事件となるはずである。なお現在、確認調査中のため、これまでの表面観察等により書かれた文献(主に園生貝塚研究会1999)を参考に記載する。確認調査の結果、訂正される可能性に留意されたい(※2004年確認調査概要→平成17年度千葉市遺跡発表会要旨(PDF)。

(→空撮 加曽利・花輪貝塚 アクセス  

南側下より

 白っぽいものは貝殻。台地下から見上げても、台地縁辺部から斜面にかけて白い貝殻が環状に分布していることがよくわかる。「全体を見渡すことのできる点で、現在の千葉市では希少な貝塚」との指摘はたしかだろう。

(場所)千葉市若葉区加曽利町字花輪(はなわ)。加曽利中学の東北200m対岸の台地先端部。加曽利貝塚(南貝塚)より南南西約900m、貝塚町貝塚群荒屋敷貝塚より南東約1.5kmに位置する。都川本流は南に約1km。坂月川の支流は北北東約700mである。→アクセス 

(規模・形態・地形)直径約120mの環状貝塚。西ないし南に突き出た台の地縁辺部から斜面にかけて貝層を形成している(いわゆる斜面貝塚)。貝層の主体は斜面にあり、堀之内貝塚(国史跡 市川市)に類似した形態。千葉市内では稀な形態である。台地縁辺部とくらべ台地中央が高い、ということはなく、園生貝塚研究会による貝塚の形態の分類では、第5b類型に属す。花輪貝塚の貝層の厚さは、ぶ厚い貝層をもつ草刈場貝塚・加曽利南北貝塚にくらべれば、薄いが、環状貝塚の直径から判断すると、直径約130mの加曽利北貝塚と、ほぼ同規模である。

(時期)縄文時代中後期(阿玉台1式、加曽利E2式、加曽利E3式、堀之内1式、堀之内2式)。千葉市では数の少ない弥生時代中期の遺跡でもある(1970年明治大学確認)。またすでに述べたように古墳時代・奈良平安時代の集落跡でもある。

(貝種)主体はキサゴ、ハマグリ。カガミガイ、シオフキ、アサリ、アカニシが含まれる。付近の後期貝塚ではキサゴに特化しているが、花輪貝塚ではカガミガイなど砂泥底に生息する肉量の少ない貝が目立つ点に特徴が認められるという指摘がある(園生貝塚研究会)。そうだとすると、なぜそうなっているか、縄文社会の基本構造にかかわる問題であろう。

国土画像情報(カラー空中写真)(c)国土交通省 (1974年国土地理院撮影)  より広域の空撮はこちら


 おそらく周辺住宅地の開発後まもない頃に撮影された、興味深い写真である。

(現状)大半が山林で、駐車場・宅地のために削られている北の一部を除いて(空中写真参照)、良好な状態である。千葉市教育委員会が1985年に作成した『千葉市史跡整備基本計画』では、花輪貝塚は、同計画策定委員である岡田茂弘(国立歴史民俗博物館教授 当時、専門:考古学)、沼田真(千葉大学教授 当時、専門:植物生態学)、大塚初重(明治大学教授 当時、専門:考古学)3氏の指摘により、加曽利貝塚とあわせ、自然保護的に保存すべき貝塚と位置づけられている。(→空撮 加曽利・花輪貝塚

花輪貝塚遠景(中央の台地−南より)

(研究史)明治15年にすでにその存在が知られていた周知の遺跡である(加部厳夫「古器物見聞之記」『好古雑誌』))。昭和21年武田宗久により発掘が行われたとの記事があるが、真偽不明。以来、酒詰仲男、後藤和民、堀越正行らが作成資料・論文等で言及しておりその名は知られていたが、発掘調査は行われておらず、詳しいことは不明である。遺跡地図の記載のほか、園生貝塚研究会が地表面の観察により得たデータが公にされているほぼ唯一の資料だった。なお隣接地は、数年前、宅地開発されたが、当時から、整地された地表面に土師器片を伴う住居址が露出しており、遺跡の存在は明白であった。

(追記)2004年5月11日、日本考古学協会は花輪貝塚の保存に関する要望書などを文化庁、千葉県、千葉市などにたいして提出した。読売新聞2004年5月23日京葉版、考古学通信・考古ニュース


(参考文献)

 酒詰仲男1959 『日本貝塚地名表』

 園生貝塚研究会1999 『貝塚研究』第4号

 千葉県文化財センター1998 『第376集千葉県埋蔵文化財分布地図3−千葉市・市原市・長生地区(改訂版)− 』1998年6月。

 千葉県文化財保護協会1983 『千葉県の貝塚』

 千葉市教育委員会1985  『千葉市史跡整備基本計画』

 千葉市教育委員会2000 『千葉市遺跡地図』

 日本考古学協会2004a 「花輪貝塚の保存に関する要望について」 

 日本考古学協会2004b 「花輪貝塚の保存に関する要望書」 


空撮 加曽利・花輪貝塚

1/25,000地形図:

千葉東部(南西) 

国土地理院の試験運用ページ。地形図閲覧システムの利用規定に注意。閲覧以外の利用はできません。

(アクセス)
 JR千葉駅から京成バス「ほおじろ台経由千城台車庫行き」(東口9番)または「鶴沢町経由 御成台車庫・千城台車庫行」(東口8番)に乗車し、「加曽利中入口」バス停で下車。200mほど進行方向に進むと、信号付き交差点、右手に地元市議「小川としゆき事務所」の大きな看板あり。その事務所の右わきの道に入り、その道をまっすぐ進行すると、駐車場あり。遺跡はその先の山林。南ないし西に突き出た台地先端部。「加曽利新和自治会館」の裏山にあたる。遺跡に直接近づける公道はないので、途中手前の加上公園のところの右の道に入り、台地下の公道からぐるっと遠まきに見上げながら歩くとよい。双眼鏡などがあるともっとよい。樹木が繁茂してしまうと厳しいが、下からでも斜面に白い貝殻が散布している状況、その貝層がぐるりとほぼ環状にまわっていることを現認できるだろう。

 

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