千葉館跡


 

 

 

 

 

家康も宿泊した?「御殿跡」・現千葉地方裁判所

 第一に猪鼻城は千葉氏の城(千葉城)であり、第二に千葉氏(本宗家)は日常、猪鼻城に居住していた―― 一般の間では、そのように信じられてきたが、今日、考古学・城郭研究の専門家の間では、いずれの点についても否定的な見解が有力である。第二の点についていえば、千葉氏は猪鼻台地の上でなく低地のどこかに居館を構え、平時、そこに居住していた――そのような見解が有力である。しからばその居館は低地のどこにあったのか?

 千葉地方裁判所(および千葉家庭裁判所)の敷地がその第一候補である。千葉県庁の、都川をはさんだ北対岸に位置するそこはかつて「御殿跡」と呼ばれており、一辺約100mの方形をなすその周囲は土塁と堀で囲まれていた。土塁は明治時代にはたしかに残っていたようである。堀は水田として耕作されていたらしい。

 千葉市で「御殿」といえば、若葉区御殿町の御茶屋御殿が想起されるが、徳川家康が千葉氏の居館跡であったこの地を取り立て、御茶屋御殿船橋御殿(さわらび通信中世船橋と千葉の湊・巨大五輪塔の記憶参照)と同じく、宿泊所つまり「御殿」とした可能性が指摘されている。(以上、簗瀬裕一「中世の千葉」『千葉いまむかし』No13、2000年ほか参照。)

 ※写真正面の大きく写っている建物は千葉家庭裁判所。その左は千葉地方裁判所事務棟。

 ●秀忠を接待した泉村の亭については女城で。

 ●都川のつけかえ・開鑿・・・2002年12月に亡くなられた斉藤正一郎氏は、都川のこの個所に言及して、千葉氏による都川開鑿の可能性を主張しておられた(「千葉市の水文環境」千葉市環境衛生局環境課編『千葉市野生動植物の生息状況及び生態系調査報告書』1996年所収)。

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