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とのだいかいづか。葭川本流左岸。標高27〜約30m。
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▲八幡神社付近の貝殻散布状況 |
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貝層の規模は東西約140m、南北約140m。馬蹄形という(千葉県教育委員会1983)。現状では、まとまった貝層・貝殻散布を確認できるのは八幡神社付近などごく一部のみ。大半は宅地となっており確認不能。調査例などまったく、実態不明の巨大貝塚である。
- ハマグリ、アサリ、キサゴなど。岡田茂弘・宇田川浩一2000によると、後期の貝層についてはイボキサゴとオキアサリが主体である。これは園生貝塚などの小中台川水系の貝塚と共通する特徴であり、葭川・都川流域の他の各貝塚がイボキサゴとハマグリを主体としつつ、それぞれ様相を異にしているのとちがっている。殿台貝塚人は、葭川でなく小中台川を下り、園生貝塚人と共通の漁場で漁をした可能性があるということらしい。
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縄文中期・後期・晩期。
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八幡神社では縄文時代の石棒を祀っている。
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同範囲に殿台城跡がある。複合遺跡であり、土塁跡などが残る。「前畑」「相野」「相野口」「小満」(こます)「堀込」などの字名がある。約350m北東に戦国期の館址である南屋敷跡がある。
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「殿台」の地名は古く、もともと西寺山・東寺山・萩台は殿台村に含まれていたという伝承がある。古代に郡衙などの役所があった場所ではないか、と推測する者もいる。
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上記写真では、馬蹄形の貝殻散布、また土塁と見える箇所があるが、確認は困難である。写真左隅のコの字形の土塁に囲まれた曲輪の存在は確認できる。
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スケール・貝層などのマークは、おおまかな目安である。
(参照)
・千葉県教育委員会1983 『千葉県所在貝塚遺跡詳細分布調査報告書』。
・岡田茂弘・宇田川浩一2000 「園生貝塚」 千葉県史料研究財団編2000 『千葉県の歴史 資料編 考古1 (旧石器・縄文時代)』。
・千葉県文化財センター1998 『第376集千葉県埋蔵文化財分布地図3−千葉市・市原市・長生地区(改訂版)−
』1998年6月。
・千葉市1974 『千葉市史 原始古代中世編』千葉市 1974年
・千葉市1976 『千葉市史 資料編1 原始古代中世』千葉市 1976年