貝塚資料

へたの台貝塚

所在地

千葉市中央区仁戸名町270-280

占地状況

台地先端部(標高25m)。

主な土地利用

畑、宅地。宅地化が進行中。

形状・規模

点列、7〜8ヶ所(東西200m,南北200m).。園生貝塚研究会によると、北西-南東110m,北東-南西80mで、3つのクラスターよりなる。

指定の有無

なし

貝の種類

ハマグリ、アサリ、ツメタガイ、シオフキ、アカニシ、キサゴ (園生貝塚研究会によると、貝層は月ノ木貝塚以上に高密度)

貝塚の時期;土器型式名

縄文中期、後期;阿玉台、加曽利EI-II、

発掘調査歴

1988年(東の谷から貝層南部分、市道整備)、1990年(北西周縁、宅地造成確認調査)、1991年(同本調査1,900平米)

人工遺物

石剣

魚骨・獣骨

不明

文献

加部厳夫「古器物見聞之記」『好古雑誌』1,1882年。
後藤和民「原始集落研究の方法論序説」『駿台史学』27号1970年。
武田宗久「原始社会」『千葉市誌』1953年。
千葉市教育委員会『千葉市史 資料編』原始古代中世 1986年。
千葉市文化財調査協会『千葉市文化財調査協会年報5 --平成3年度--』
日暮晃一「活動記録」『貝塚研究』3号1998年。
堀越正行「縄文時代の集落と共同組織」『駿台史学』31号1972年。

そのほか

 ハマグリが主体でキサゴがそれにまじる程度である点、また貝層がきわめて緻密である点、都川右岸の貝塚とくらべて、顕著な違いがある。

 西側、細い谷地(仁戸名谷津)をへだてた台地の先端部に月ノ木貝塚(縄文中・後期)がある。さらに台地の北西側の下の低地に道免貝塚(縄文早・中・後期)がある。3つの貝塚は時期的に重なっており、相互の関係がどうであったかが重要な問題である。

 東側、細い谷の対岸の台地(字、作山)の、作山古墳群の北方の畑、荒れ地に土師器片をともなう貝殻散布(アサリなど)がみられる(作山貝塚?)。

複合遺跡

 中世の城郭址でもある(へたの台砦址)。古墳時代後期の住居址(貝の廃棄あり)。平安時代の住居址。近世の墓(人骨・銅銭・陶器)。同じ台地の基部、南の隣接する地域(仁戸名小学校敷地に該当)にはかつて古墳群(古墳時代後期)があった(へたの台古墳群)。小学校建設に伴い、調査のうえ破壊。東対岸には作山古墳群がある。

(主に参照した文献)

千葉県教育委員会『千葉県所在貝塚遺跡詳細分布調査報告書』1983年
日暮晃一「活動記録」『貝塚研究』4号1999年。

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遺跡めぐり「月ノ木貝塚周辺を歩いてみよう:3.へたの台貝塚」

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