鈴木ジャイアンツが遺してくれた城郭


元堀城  3D立体モデル―四街道市小名木ー


 はなはだ不完全でおおざっぱなものですが、ないよりまし、ということで、試作した元堀城の3D立体モデルkmzファイルを公開します。推定や想像がかなり入っていますし、垂直しか表現できないなど制約がかなりあることを念頭においてください。なお再配布する場合は、「Aruke作成」と付してください。城郭に詳しい方により、より精密な縄張図が作成されることを期待します。
 
 上から下から、ぐるぐる眺めまわしてみてください。以下はスナップショットの一部です(後で追加予定)。
  元堀城とは→補足

空撮+概念平面図

※水色は空堀、窪地、段切りにより低くなっている区域である。

元堀城3D斜視図

※google earthのポリゴンでは表現に制約があるので、かなり単純化した図である。中央の「馬出し」と思われる遺構をみたときは感動した。小島のように南に飛び出た小土塁と大土塁はつながっていたかもしれない。

 

(補足)
  元堀城は、故鈴木ジャイアンツ氏(鈴木英啓氏のニックネーム)が一人でがんばって保存させた城である(→元堀城)。その見事な遺構を見たときの驚きは忘れられない。どういう経緯で保存されたのか、渡邊太助氏にたずねたところ、鈴木氏の名をきいた。渡邊氏は、当時、別件があり、鈴木氏をじゅうぶん応援することができず、詳しい事情を知らないという。以来、この数年間、鈴木ジャイアンツ氏の職場であった市原市文化財調査センターや市原市役所等々に元堀城保存時の資料がないか、当時のことを知る人はいないか、問い合わせてきたのだが、いまだに詳細は不明である。保存のなった直後、渡邊太助氏や加曽利貝塚博物館の職員とで、城内を見学したことがあったそうだ。しかし鈴木氏が若くして亡くなってしまったこともその事情のひとつか。保存の経緯はおろか、元堀城の存在自体が忘れられて、「消滅」という虚報が広がってしまった。遺跡地図にはけっして「消滅」などとかかれていないし、長年地元に住んでいる人はその存在を知っていた。要するに知っている人は知っていたのだが。

(関連ページ) 
■空撮 元堀城

■鈴木ジャイアンツの贈物 元堀城 −四街道市小名木

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