東金城(3)−戦国動乱の古城址をあるく
  2007年4月22日(日)

 田間城 −東金酒井氏最初の拠点 

― 千葉県東金市田間 ―

(参考) 
 ■遺跡めぐりのお知らせ   
 
(コース) 
 東金駅入口前(集合)→銚子街道→多田屋店舗(国登録文化財)→東金御殿表門前→東金高校→
 東金城・主要部→腰郭→腰郭(北側)本漸寺→酒井氏供養塔→八鶴湖・最福寺→(昼食)→
 岩崎横穴群→新宿横穴群→上行寺裏横穴群→玉埼神社裏横穴群→
 田間城→後谷→久我池→旧本漸寺跡→東金商工入口(解散)




■ 新宿横穴群・玉崎神社裏横穴群など
▲新宿横穴群
 東金城から田間城にいくまでの間の、崖面には多くの横穴(墓)があります。広い意味の古墳で、古墳時代終末期(7世紀)のものである可能性が大のようです。千葉県埋蔵文化財分布地図によると、岩崎横穴群 20。新宿横穴群19。上行寺(じょうぎょうじ)裏横穴群7。玉崎神社裏横穴群29。なお千葉市内には明確に横穴墓とわかるものはひとつもありません。
▲新宿横穴群
 左の写真の横穴のさらに上を見上げています。雑草ですぐにはわからなかったのですが、よく見ると、いくつも横穴が口を開けていました。はしごをかけないと、届かないような場所です。この付近では、太平洋戦争中の防空壕も掘られている可能性があり、紛らわしいのですが、防空壕はこんな高いところには掘らないでしょう。
▲玉崎神社裏横穴群
 玉崎神社の裏にも横穴群があります。玄室が羨道よりも高くなっている高壇(こうだん)式という特徴的なものが千葉県では多いようですが、ここでの横穴がそういうものかどうか、不明です。
■ 田間城−東金酒井氏最初の拠点 
▲田間神社
 東金城より北東約2km。田間城の南側斜面中腹、腰郭ともいえる場所に田間神社があります。いいかえると、神社の裏山が田間城です(写真は下見のときのもの)。935年、平良兼が田間に大六天を建立した田間神社の最初とも、1509年、酒井定隆が大六天を建立したのが最初ともいいます。もともとはここでなく、後谷側の田間城の陰になるところにありました。 →田間神社の伝説

▲田間神社からの景色
 眼下には、千葉東金街道から続く、銚子への街道(国道126号線に相当)が通ります。かなたには九十九里浜が見える。神社から城に上がる道は主郭に直行できるのですが、急斜面を上がるため、われわれは、西側から入城します。
▲がんがん坂(?)
 きりどおしの道を進みます。右が田間城の西端となります。
▲田間城西斜面を上る
 伝承では、酒井氏の初代、酒井小太郎定隆は、土気城は長男定治に継がせ、自らは3男隆敏とともにここ田間城に入り、東金酒井氏を開いたことになっています。北東南西500×北西南東300mの範囲が城域。

▲台地南側に向かう虎口状の遺構
 切通しにされ、右は土壇のようになっている。
▲北西側の腰郭 右上は2郭。
▲「田間城跡」の標柱と祠
  田間神社の伝説のとおり。
▲昼なお暗い場所です。 ▲主郭(左)と2郭(右)の間の空堀を進む
▲主郭の虎口を上がる ▲主郭虎口
 虎口から空堀に下りるところ。台地上主郭内から見ています。
▲主郭虎口から堀底と対岸の2郭を見る
 余湖さんのいうように、たしかに2郭の切岸はあまい。
▲1郭北東の物見台付近からみた平蔵台城と旧本漸寺跡(北〜北東方向)
 左前方の山が平蔵台城。その手前下が字「金谷」。土気城北東に同名の「金谷」という集落がありますが、そこから鍛冶職人を移住させたといわれています。中央やや右、緑色の屋根の学校付近が旧本漸寺跡。酒井定隆が願成就寺をここに移したという寺の跡です。右のかなたは、九十九里浜。手前の住宅地は、字「山小屋」。余湖さんによれば、ここも田間城の城域であり、さらに2郭あったそうだが、どういうものであったかは、宅地開発でわからなくなっています。下見のときに撮影。
▲腰郭の土塁
北側の集落側に出る途中にあります。腰郭へと切通しにされて、虎口のように見え、大手門周辺の施設と見る見方があります。しかしたかしpart3氏によれば、ここに虎口を設ける意味はなく後世の改変だろう、ということです。西側は段々畑のように2.3段の平場が作られており、8つの尾根で仕切られています。家臣団の屋敷跡でしょうか。どういう郭だったか不明です。
▲大手・虎口か
 北側の集落に下りる個所にある土塁と切通し。この下の民家の前を通らせてもらい、北の後谷(うしろやつ)に出ました。江戸時代、酒井氏の子孫が幕府に提出した文書によれば、後谷の集落には酒井氏の元家臣が帰農しており、現在もその名字のお宅が数件あります。南の田間地区よりもむしろ後谷側が古く、城下集落ではないか、と思われます。
▲田間城・字「山小屋」遠景(北東より) 
 左端の山が平蔵台城。ふもとの民家の向こう側の学校のところが、旧本漸寺跡。中央台地・一段低い上の住宅地が「山小屋」。田間城の根古屋集落があったともいわれる場所である。その右の高所が田間城の主郭。その右(西側)が2郭。撮影地点背後には、久我台城(久我城・古賀城)。下見のときに撮影。


 ※「黄金咲く山」平蔵台の「平蔵」について
 平蔵台の地名は、醍醐平蔵という人物に由来する。伝承によれば、醍醐家は久我台城の城主北条久時の子孫とされており、とぼけた昔話が伝わっている。→東金の昔ばなし「平蔵台」
「朝日さす、タ日輝く、その元に、荒椒千枚、朱千俵、黄金咲く山、銀の山」 めでたしめでたし
おつかれさまでした!
(参考文献)
・遠山成一 1996 「田間城跡」 『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書 2 −上総地域』 千葉県教育委員会。
「田間城」@余湖くんのお城のページ
東金城(2)



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