平山の歴史的景観 (千葉市緑区平山・辺田)

 


立堀城

 

2002年5月3日撮影

 

*文字を明瞭に出すためPNGファイルを使用し減色しています。
 画像は粗くなっています。

 

■ 大橋戸(平山町)からの景観



 平山字「大橋戸」よりの景観。「支川都川谷地」
(斉藤正一郎1999)である。右端には道路があり、その前方先には鎌取インターチェンジ・外房有料道路入口が見えるが、ほぼ中世を彷彿とさせる景観が広がる。前面は字「凌谷」(サライヤツ)。中央やや右の台地が立堀城(タテボリ、字「雲中」(クモチ、クモウチ)所在)である。(城内の様子はこちら

 中央左の台地が「高有」(タカリ、タカアリ)である。その下の「グラウンド」を含む微高地が「的場」(マツバ、マトバ、もと山林、土取りで削平されたのち野球場にされたらしい)。立堀城北西の隣接地である。城の主一族郎党が毎日、弓矢の稽古をしていたところかもしれない。写真外だが、台地北東の「木戸脇」は「遠曲輪」であり、木戸が立っていたという。そのほか付近には「金クソ」「矢ハギヤ」など城関連の施設の存在をうかがわせる地名や「ムカイヒシナ」(ムケエビシナ、菱名日向守の屋敷跡など平山城主の家臣の屋敷跡と伝わる場所が知られる。写真に橋が二,三見えるが、地元の人によると、もとの川筋は写真右端の道路付近、台地寄りを流れていた、道路建設で位置を変えられたとのことである。左のピンクの点線は高有道(タカアリミチ)である。蘇我野(東京湾岸)―大厳寺(生実の北隣)―赤井―土気往還(大網街道)―平山―東金道(旧)と結ぶ古道である。撮影地点、字「大橋戸」については山下七郎兵衛吉継1705に「城盛りなりし比は引橋なり」とある。

立堀城 ―街道を押さえる平山城の出城

 千葉市緑区辺田字雲中所在。地形によって台形をしているが、基本的には110m×140mの方形単郭式である。土塁。空堀。二重土塁。南側に櫓(やぐら)ないし物見台があり、城の南側低地を通る道(生実−中田?)を監視するもの(簗瀬裕一2002)であろうか。平川城の前身ともいわれているらしいが、詳細不明(山本勇1980)。1.5km東の平山城(千学集等によれば、千葉胤持、輔胤、孝胤、勝胤居城)の出城という見方がある。完成前に放棄されたという伝承もあるらしい。いずれにしろ最終段階では戦国時代後期の城と見られる。市内でも遺存度ベストの城郭のひとつであるが、発達した縄張りをもつ大椎城とはちがったタイプの城であり、その姿は技巧的というより端正である。城址というより館址といった方がいいかもしれない。中世城郭研究会のトップページを飾るのは美しい立堀城の縄張図(三島正之氏作図)であり、必見である。なお台地上、城の北東わきに道(後述の往還から分岐する道)が通っており、城への入口付近に道標を兼ねた馬頭観音が置かれている。「大正十年」「左蘇我野道」「右野田道」とある。

●平川城
 千葉市緑区平川町皇太神社付近。千葉常胤の家臣、平河五郎治種次入道真正坊が築城。その後、千葉氏の属城としてその子孫が代々守備したという。1511年里見氏に奪取され、天文年間(1532-55)、北条氏に攻められ、落城。廃城になった。(以上、山本1980)
  
●平山村と辺田村
 平山と辺田はかなり飛地を含みその範囲が入りくんでいた。辺田は平山とともに一郷を形成していたが、宗派上の違いから分裂したためという。1595年には平山郷に属したが、1628年には分村している。辺田宮台(立堀城南東下)所在の雲中山妙本寺は東光院(平山所在、真言宗)の末寺だったが、日蓮宗(七里法華)に宗旨を変えた(時期不詳)とのことである。
 
●野田
 千葉市緑区誉田付近の旧地名。土気の酒井胤治が里見義弘と戦った「野田合戦」として知られる。真偽・異同ははっきりしないが、原氏と里見氏の戦闘、豊臣・徳川軍と原胤栄の戦闘などもあったといわれている。元和年間、将軍の東金行に際し、千葉・土気間に馬継ぎがなく不便ということで、人馬継立の場となったという。立堀城の北隣接地「越川戸」の地名について野田合戦に絡む伝説がある。「野田合戦の時武者一騎駒をはやめて逃行を跡より追かけはなつ矢に当たり此川を越馬より落ちて打死したりと言それより此所を越川戸(おっかわど―編集者の注か)と言り又落川戸ともかけり」(山下七郎兵衛吉継1705)。

●貝塚ベルト地帯 ―菱名貝塚・台畑貝塚・築地台貝塚

 撮影地点背後の台地上には菱名貝塚(環状)、写真左の台地上には台畑貝塚(点列環状)、その先の対岸台地には築地台貝塚(環状)と縄文中期・後期の貝塚が一直線に平山の台地を切るように並ぶ(園生貝塚研究会のいわゆる「平山地区貝塚ベルト」)。高有道と呼ばれてきた古道(蘇我野から赤井町をへて、土気往還(大網街道)、旧東金街道を接続する往還、写真左ピンクの点線)がその一直線上を通っており、縄文人たちが隣村を訪ねるのに使っていた道だった可能性もある。

●古墳の密集地

 平山周辺は古墳の多さでも注目される。

●古代寺院 ―仏教信仰の一大中心地か?

 高有の東の「越川戸」(オッカワド、コシカワド)の市営運動場予定地(写真の野球場の代替地)では、2002年、発掘調査され(4月1日―6月26日)、古墳時代後期から平安時代にかけての集落跡と寺院施設と思われる掘立柱建物群跡と瓦塔・瓦堂が出土している。また築地台貝塚と東光院の間には、布目瓦を出土する高徳院遺跡がある。平山地区には寺院跡があったという伝承があるところが数箇所あり(築地台越川戸もそのひとつ)、また千葉氏の祖平常将が父平忠常と忠常の乱で戦死した者たちを弔うため平山の地に来迎・芳泰・西光・浄光の四寺院を建立したという伝承もある。現存の東光院(旧名東照院)とともに注目される。

●斎場建設に伴う景観・環境変化

 2002年7月以降、立堀城に隣接する区域、字「的場」「高有」(写真中央台地および低地)に斎場建設が進められ、中世以来の環境・景観は変貌しつつある。上記写真は、同年5月3日、斎場建設着工直前に撮影したものであり、貴重な写真となった。なお最近になって、千葉市は立堀城跡を斎場に隣接する緩衝緑地として保存する方針であるということが漏れ伝わってきた。

(地名についての注)

 一般に土地の通称については、地元民でも複数の呼び方がありうる。表記(あるいは行政上の便宜)から呼び方が変遷してしまうこともある。一般論として旧地名に関する遺跡名称の混乱があるのも事実である。わずかだが現地住民に若干の聞き取りをしたので参考のために記す。旧地名を知る世代がこの数年で急速にいなくなりつつある、というのを実感した。「そういえば最近亡くなったおじいさんが何か言っていた」「最近亡くなったおじいさんが生きていればわかったかもしれない」という異口同音の返答を何度も耳にした。

1.築地台
 千葉県文化財センター1998では「ツキジダイ」との読みを記載しているが、園生貝塚研究会は(おそらく聞き取り調査により)「キジダイ」という読みを採用している(和田茂右衛門1978には「築地台」は見当たらない)。地元の一人(『ムケエビシナ』の場所を教えてくれた築地台南下の字向町居住の年配男性)に確認したところでは、「『キジダイ』でなく『ツキジダイ』だ」という返答であった。なお(山下七郎兵衛1705に『築地台』の語とは別に出てくる)『築地』はどこか、との問いには、「築地台と同じ。築地台のことだ」という返答であった。

2.越川戸
 現地住民および『千葉市史』は「オッカワド」とよんでいる。和田茂右衛門1978は「オッカド」と記録している。千葉県文化財センター1998および千葉市文化財調査協会は「コシカワド」を採用している。上記の男性に確認したところでは、「『オッカワド』という。『越川戸』と書くので『コシカワド』とも呼ぶ人もいる」というような返答であった。江戸時代の地元住民、山下七郎兵衛吉継1705は、「野田合戦の時武者一騎駒をはやめて逃行を跡より追かけはなつ矢に当たり此川を越馬より落ちて打死したりと言それより此所を越川戸(おっかわど―編集者の注か)と言り又落川戸ともかけり」とする。

 

平山の縄文時代を歩く

2003年2月23日(日) 遺跡めぐり。
イベントお知らせページも参考にどうぞ。
平山の歴史的景観

| 立堀城(仁戸名川谷地、支川都川本流谷地) | ひ  菱名古墳群  平山谷地(ここ)  平山城(平山妙見下)

房総の城郭 立堀城のページがあります。
中世城郭研究会 必見。芸術作品ともいえる立堀城の縄張図が(三島正之氏作図)がトップページを飾る。
1/25,000地形図:

蘇我(北西)  蘇我(北東)
 立堀城      平山城

国土地理院の試験運用ページ。地形図閲覧システムの利用規定に注意。閲覧以外の利用はできません。

◆立堀城の位置:北緯35度34分25秒,東経140度10分41秒 
鎌取インターチェンジの北東約200m。

◆平山城の位置:北緯35度34分17秒,東経140度11分32秒
袖ヶ浦カントリークラブの北対岸。

主要参考文献【千葉市緑区平山】
 
本文での出典は原則として著者名+発表年によります。より詳しい出典の情報はこちらをご参照ください。

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