2003年5月5日(月)

多部田の歴史をあるく 2 多部田城編 (仮)

 

― 若葉区多部田町 

 お天気石。梵字のようなものが書いてあるようにも見えることから年寄りは梵字石とも言っていたそうです。石が濡れると翌日は雨が降るのです。村人は、これを見て、「明日は雨だ、急いで今日中に仕事を終えておこう」という具合に使っていたといいます。やがて機能しなくなりうち棄てられていたのを案内の方が文化財として大切にするように話したところ、ある住民が拾って保存。その後置き場所はこの近くを転々としたが、ここにおさまったのです。

 この石については、ちょうどいいので足洗いに使っていたら、毎晩、川からうなり声のような音が続くようになった、などという怪談もあるのだとか(^^;

 

 平蔵陣城。秀吉の北条征伐のとき、派遣された徳川軍による多部田城攻撃のための城です。場所については2説あります。ひとつは写真中央かなたのゴルフ練習場。住宅街「ローズタウン」南東。そのネットがみえます。土塁が廻っていたといいます。もうひとつの説は、住宅街「ローズタウン」内北東にある多部田保育園。写真前方の谷津の先にある台地上がちょうどそこです。地元では「一夜城」「城山」などとも呼ばれています。いずれの説の場所ともこの主郭の南側下から見ると、同じ方角でほとんど重なって見える!

  平蔵陣城から少し右に向くと、目の前が大砲台(てーほーでー)。家康の家臣本多忠勝のそのまた家臣がやってきて、多部田城に向かい大砲(鉄砲のこと?)をここから撃ったと伝わっています。なお背後のお宅は「下堀」という屋号です。堀を埋めたうえに住宅を建てたらしいです。

 

 地主さんの許可を得てお宅の庭を通り多部田城(遠景写真)主郭に上がりました。小字は「松崎」ですが、どうも地元の人はここを「台」と言っているようです。

 多部田城主郭にある妙見社の祠。妙見様はいうまでもなく千葉氏が崇敬してきた神仏です。中世の五輪塔の一部が置いてありました。

 地主さんが設置した妙見様の石碑。「白井入道」という名前も刻まれています。「白井入道(白井胤治、小出古城は、胤定とする、その後の白井氏についてはこちらとは、永禄9年(1566年)、上杉謙信が北条方の原氏の居城、臼井城(紛らわしいですが、こちらは「うすい」[現 佐倉市]です)を攻めたとき、謙信の軍を撃退し原氏の危機を救ったという名軍師です。「多部田殿」と言われていたようで、そこから多部田に居たのだろう。多部田城の城主だったのだろう、ということになっているのです。この白井入道の活躍の話は『千葉実録』という江戸時代中期以降に成立した史伝に出てくる話で、史実かどうか、白井入道が実在の人物かどうか、確認されていません。

 残念ながら、現在、地元の人の間に、多部田城主が誰であったのか、伝わっていないようです。

 多部田城主郭の空堀を見下ろす。案内役の方より重要な事実がわかりました。土橋は最近作られたものと判明!また空堀の一部と見えたものも戦時中、最福寺に駐屯していた兵隊たちが装甲車の類を隠すために掘ったものと判明!これまで公表されてきた多部田城の縄張図は訂正が必要となりました。どこまでどの程度日本軍が改変したのか慎重な検討が必要です。(→多部田城改変箇所

 東の最福寺に隣接する郭の空堀(ホンモノ)です。屈曲しています。こちら東側の郭内では、2条の空堀状遺構が第二次大戦中、最福寺に駐屯していた兵隊が掘った防空壕の跡と判明しました(→多部田城改変箇所。これまで城郭研究者が頭をひねっていた遺構の正体は、防空壕だった・・・・ホンモノの中世城郭遺構の中に日本軍の防空壕が混在するなど紛らわしいことです。

 

 もうひとつ発見というか確認。最福寺の東にも土塁が残っていることに以前から気づいていたのですが、これまでかかれていた縄張図では無視されてきました。今回、案内役の方によれば、やはり最福寺からの土塁の延長だろうとのことです。
 最福寺山門。火事にあいこの地に移るより前のもとの最福寺の山門です。そのままだったら非常に貴重なもので文化財となったはずのものだが、惜しいことに修理してしまったとのことです。現在、最福寺の敷地となっている区域も多部田城の郭を形成していたであろうと言われています.  
   多部田は文化財がたくさんあるところで、とても全部はまわれない。説明にまる1日、現地をまわるのにまる1日、計2日はかかるそうです(^^;

 本日のしめくくりとして、江戸時代、領主と村民との間に入り一命をもって村民を救った鱈沢善右衛門のお話をしていただきました。 

 

 ※以上については、長年当地を調査してこられた更科郷土史研究会の前角榮喜さんより教示を得ました.
ただし聞き間違いなどがあるかもしれません。文責はあるけ〜にあります。

 ※yygucciさん、たかしpart3さんより提供してもらった写真を一部使用しています。

 ◎地主さん、前角さんはじめ、ご協力くださったみなさん、ありがとうございました!

多部田の歴史を歩く 1   平蔵陣城

(参考サイト)

  参加者のページ。とくに多部田貝塚について詳しいです。
園生貝塚研究会 on web 「貝塚を訪ねて」のページに多部田貝塚が取り上げられています

参加したたかし殿のページ。多部田城多部田ミニオフのページがあります。馬出説を提示。

余湖くんのホームページ

多部田城のページがあります。縄張図でお世話になりました。

 

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