2006年 1月15日(日) 於:鎌取コミュニティセンター
鈴木 正博(早稲田大学 文化遺産アーカイブ研究所)
【市民の、市民による、市民のための貝塚学再構築】
千葉の貝塚研究今昔 (第4回):有吉貝塚に学ぶ―斜面貝塚の衝撃―
1.序−「遺跡を歩く」という考古学の構え−
【「遺跡を歩く」入門編】 ◎知識の整理と遺蹟・遺物の体感が、考古学を知る第一歩!
【「遺跡を歩く」基礎編】 ◎知識の整理に加えて方法の訓練が、考古学を学ぶ第一歩!
<【入門編】に至る学問的背景の理解>
【「遺跡を歩く】実践編】 ◎個別の目的と方法の適用による問題解決が、考古学を実践する第一歩!
<【入門編】や【基礎編】の知識は全体のごく一部であり、研究領域の多様性を追求>
【「遺跡を歩く」研究編】 ◎課題認識とその解明方法構築が、考古学を研究する第一歩!
<【実践編】の研究領域を検証・深耕し、研究の将来性を展望>
1−1.貝塚研究の歴史から、「遺跡を歩く」という考古学を見つめ直す
【「遺跡を歩く」入門編】 1.モース以前と以後、その後の人類学
2.先史文化と貝塚の層序
<体感できるテーマ> 3.先史地理と貝塚の形成環境 ←東京湾の多様な貝塚の特徴を押さえる!
<今回の導入テーマ> 4.先史集落と貝塚の形成プロセス ←今日、村田川流域の貝塚を歩く前に!
<今回の中心テーマ> 5.先史経済と生態の相互作用としての貝塚文化 ←色々な労働様式の意味は?
1−2.貝塚研究の体験から、「遺跡を歩く」という考古学の意義を考える
【「遺跡を歩く」基礎編】 1.不備の認識:聞き取り調査などによる新たな発見と欠落している情報の認識
<今回の中心テーマ> 2.方法の習得:具体的な比較研究による自己の位置付けと新たな視点の形成
1−3.貝塚研究の現状から、「遺跡を歩く」という考古学の重要性を再認識する
【「遺跡を歩く】実践編】 1.多様化細分化された研究をアナログとして可視化統合するための研究基盤
2.神尾明正からの贈り物: “Study nature! Not books!”
1−4.貝塚研究の展望から、「遺跡を歩く」という考古学の社会への貢献を実践する
【「遺跡を歩く」研究編】 1.CRM(文化遺産を活用した地域経営)の推進:遺跡の考察から地域の研究へ
2.パブリック・アーケオロジーの確立:単眼(専門馬鹿)から複眼(多様性共存)へ
2006年 1月15日(日) 於:鎌取コミュニティセンター
鈴木 正博(早稲田大学 文化遺産アーカイブ研究所)
2.有吉(北・南)貝塚に学ぶ―斜面貝塚の衝撃―
2−1.千葉市における貝塚群の中で個性的な特徴を学ぶ
(1)地域性としての千葉市に形成された貝塚群を海への接近経路という観点からその地域内個性を理解する。
●東京湾という広大な内彎水域の中にあって古汐田湾谷・古都湾谷・古村田湾谷などにおける貝塚形
成の特徴を漁撈資源(内彎砂泥底貝と魚類、汽水種等各種資源)の活用なども含めて把握する。
(2)千葉市に形成された貝塚群を年代的な変遷現象という観点からその人類史的個性を理解する。
@【貝塚を歩く】 ・各地に共通する主体貝(例えばハマグリなど)の大きさは何を語っているか。
・環境変動(海進・海退)と貝塚群の位相にどのような相関があるか。
A【発掘調査報告書を活用する】 海への働きかけを漁撈用具や製品製作等から労働様式として検討。
2−2.千葉市有吉北貝塚の発掘調査報告書に接して(時間の関係で超概略のみ紹介)
【報告書】『千葉東南部ニュータウン19 有吉北貝塚1(旧石器・縄文時代)』(1998)、千葉県文化財センター
(1)地域的年代的分析視点
@古村田湾谷流域における縄文時代中期貝塚の二者―市原市草刈貝塚と有吉北貝塚―
A古村田湾谷流域における斜面貝塚の二者―有吉北貝塚と木戸作貝塚―
・有吉北貝塚の後期前葉斜面貝層の意義
(2)縄文時代晩期終末から弥生時代初めにかけての土地利用
(3)縄文時代中期における「土器型式」別土地利用の変遷と貝層形成との関係
(4)南斜面貝層と北斜面貝層との関係、並びに北斜面貝層の下部と基部における土器の一括廃棄的な様相
(5)非食用の希少貝(イモガイ・タカラガイ・ツノガイ)による製品の特徴と入手経路や保有関係の問題
・黒曜石の産地は神津島産が殆どであり、島嶼との交流が活発な房総半島南部との関係が浮上。
(6)骨角製刺突具の際立った特徴と縄文時代中期斜面貝塚との関係
2−3.有吉北貝塚をめぐる労働様式と集落論の研究視点(時間の関係で遺跡群研究は省略)
【参考文献】『千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)』(2000)、『千葉県文化財センター研究紀要19』(1999)等
(1)斜面貝塚の先史考古学 : 学史的な大串貝塚、大森貝塚、陸平貝塚は斜面貝塚
@斜面貝塚のメッカは現利根川下流域
・例外として著名なのは古原貝塚、武田新貝塚の台地上地点貝塚。
A斜面貝塚の地域には斜面貝塚と地点貝塚の両面を有する形態も顕著。
・古村田湾谷では小金沢貝塚が典型的。高木龍七の定義とは異なるが「両面貝塚」と呼称。
(2)古村田湾谷における貝塚とハマグリの先史考古学 : 後期中葉には環境変動を超えた計画集落が形成
・中期中葉から後葉にかけては下流域で小形のハマグリ主体。後期前葉まで小形のハマグリ主体。
後期中葉は六通貝塚に代表され、海退現象にも拘らずより海から離れて立地し、中形のハマグリ主体。
(3)漁撈民の系統をめぐる先史考古学 : モリと釣針とヤスの関係は如何に?
@漁撈文化の伝統 : 千葉市における縄文時代中期の貝塚は土器片錘による網漁と貝刃が主体。
A漁撈文化の断絶 : 中期後葉の有吉北貝塚から近隣の後期前葉の木戸作貝塚への変遷は、漁撈文化
としての労働様式の断絶が顕著。集団関係に系統的な再編成が措定される。
有吉北貝塚は斜面貝塚文化圏の労働様式に優れ、木戸作貝塚は斜面貝塚であり
ながらも異なる労働様式に支えられた集落であった。
以 上
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