千葉市の道標クイズ

正解

 

■第1問 城ノ腰城下の道標

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正解は

「南ハ大かん寺道」

「左ハなりた道」

 寛政元年 三月吉日 (右端)

  ※金田英二1997年『房総の道標』による

 大かん寺=大厳寺(だいがんじ)

 なりた=成田

ですね。仏像は青面金剛。

「寛政元年」は1789年。松平定信の寛政の改革の最中。「鬼平」こと長谷川平蔵らが活躍していた頃ですね。この道標が建てられて数ヶ月後にはヨーロッパでフランス革命が起きている。そのような時代の道標です。

 大厳寺は千葉市中央区大厳寺町(生実の北隣)に位置します。16世紀前半、生実城の原胤栄夫妻により創建された浄土宗の寺院です(伝説等→おゆみ野むかし昔)。

   この道標は、石造文化財としての価値をもつだけでなく、城ノ腰城をはじめとする付近の城郭群の分布の意味に示唆を与えることが少なくないように思われます。(以下の発展問題参照)

(発展問題) 

 (1)どうやら「大厳寺成田道」が存在したようですが、どのようなルートなのでしょうか。ここからどうやって進むのでしょうか?古い地図を見るとある程度推測がつきますが、ボチボチ解明していきましょう。

 (2)「大厳寺成田道」はいつごろできた道でしょうか?上の道標から1789年にはたぶんあったといえるでしょうが。

 (3)「大厳寺成田道」は主に何のために使われた道でしょうか?

 (4)(1)と(2)に関して一定の仮定をして=「大厳寺成田道」が中世に遡る道だとして、の話ですが、中世城郭跡の分布と重ねてみましょう。そこから見えてくるものは?

  以上の件に関し、別の道標の存在、伝承、資料そのほか何か情報をお持ちの方は掲示板またはメールでお知らせください。

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