2007年2月25日(日)

六通貝塚・大膳野南貝塚をあるく

 午前中の学習会での講義を踏まえ、「分水嶺交通の要衝」という六通(ろくつう)貝塚の位置付けを念頭に、旧地形を想像しながら、歩いて見ました。北から仁戸名川の谷跡づたいに南下し、村田川水系の拠点集落跡、六通貝塚に向かいます。たとえば都川水系の加曽利貝塚の村からたっぷりお土産をもって六通貝塚村に来るなら、使った可能性のある丸木舟の道です。六通貝塚からは谷でなく、谷と谷の間の台地上の陸路を使って大膳野南貝塚(後期・堀之内1式期)をめざします。六通貝塚村の縄文人が大膳野南貝塚村を訪問するとき、あるいはその方面に狩猟に出かけるときに使った可能性のあるコースです。途中には、縄文時代晩期の遺物集中地点(六通神社南遺跡)があります。

(コース) 
  「南警察署前」集合→小谷公園旧仁戸名川(支川都川)支谷跡→泉谷(いずみやつ)→六通貝塚→六通神社南遺跡→(陸路)→大膳野南貝塚→「農業センター入口」解散 

     ※参考 2006年1月遺跡めぐり  空撮六通貝塚


■ 支川都川上流・仁戸名川の谷をさかのぼる 
小谷公園から貯水池を見る.
 貯水池の西縁、写真中央付近が、支川都川=仁戸名川の谷の跡です。立っている地点が上流(南)、前方かなた先が下流(北)になります。加曽利貝塚など都川水系の縄文人が丸木舟を引いて、向こうからやってくる、などという光景を想像しましょう。
▲仁戸名川本谷跡(写真右)を遡ります。
 開発でかなり周辺の地形は変わっていますが、意識してみると、谷跡は今でも低くなっており、たどることが可能です。
▲仁戸名川本谷合流地点。
 仁戸名川本谷の跡はこの地点まで、ほぼ遊歩道(その下に下水道あり)となっています。ここで本谷は現代の道路(写真右方向)と大体重なり、大膳野のほうに向かいますが、浅い谷がここで分岐し、六通貝塚の北の方に向かいます。こちらも現代の道路(写真左方向)にほぼ重なります。私たちは六通貝塚北方へ。
▲泉谷最奥地点。
 台地を登りきり、六通貝塚に直行せず、少し進むと、村田川水系の泉谷(いづみやつ)に出ます。六通貝塚が分水嶺の地にあることを実感できます。
▲遺物集中地点六通遺跡を通り過ぎ、六通貝塚へ。
 周辺は宅地化が進んでいます 
■ 六通貝塚 
六通貝塚・貝層南西付近。写真道路の前方付近が県の調査した地点のひとつで、住居址3軒が検出されているようです。 南西の貝層
 学習会で説明があったように、ハマグリ、イボキサゴが多い。
東側の貝層
 北東部はマンションが建ち、貝層は消滅。
▲中央西側の貝層 ▲夥しい貝殻。骨片が目につきます。 ▲骨片。右のは踝の部分?
▲右はイノシシの牙 ▲魚の骨!5mm程度。 ▲六通貝塚中央付近
 写真前方も県の調査範囲。大膳野南貝塚にむかって出発。今度は陸路、台地上、旧地形でいうと尾根づたいの道をきます。

学習会 大膳野南貝塚

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