大椎城周辺の景観 ―あすみが丘・失われた城郭

 


大谷城跡
 土気南中学校・公園通り付近


ほぼ北向きに撮影

■大谷城跡 


―危機迫る中での急造? 村田川・土気城間のルートを押さえる土気酒井氏の支城

 別名南河原坂城。現地名、千葉市緑区あすみが丘4丁目・5丁目。

 土気城の西南西約2.5km、大椎城の北北東約1kmの地点(→土気城郭マップ。写真右の土気南中学校から左の住宅街にかけてが、大谷城の範囲である。「創造の杜」(写真の左手前端)の北東隣接地にあたる。1982-3年、全面発掘。その後、完全に削平されたので現状から旧地形を想像することは難しい。発掘調査によれば、堀切・横矢曲輪などが瘠尾根状の丘陵地上に配された技巧をこらした戦国末期の城であった。普請途上のなまなましい様子が知れたという(小高春雄1998など)。小高氏は、土気酒井氏が北条氏の攻撃を受けた「永禄7年[1564年]から天正4年[1576年]の間に築かれた可能性が高い」としつつ、「1590年(天正18)も視野に入れておくべきか」とする。同時期の城として500m南西に御堂崎城があり、ともに村田川から土気城にいたるルートを押さえるための城であろう。

←御堂崎城 ↓大椎城  土気城→

 


後台城跡
 (チバリーヒルズ正面入口付近)
あすみが丘6丁目

■後台城 

―チバリーヒルズにあった城

 チバリーヒルズのゲート(入口のこと)。遺跡地図によれば、まさにこの場所に後台城があった。北東3.2kmに土気城、南西対岸約400mに大椎城がある、という位置である(→土気城郭マップ

 後台(うしろだい)の名のとおり、大椎城(写真前方先)の北東後背にあたる舌状台地に立地していた。15世紀後半から16世紀にかけての城である。発掘調査によれば、造成面は南北25m東西16m。遺構としては、平場(郭)、土塁状遺構、堀状遺構1条、列状土こう18基(中近世の猪穴?)、掘立柱建物跡5棟、土こう5基など。300m北東対岸に中世集落(鐘つき堂遺跡)が発掘調査されており、それとの関連が指摘されている。15世紀後半といえば、伝承上酒井氏が土気に入部する頃であるが、後台城を築いたのはどんな勢力だったか、不明である。

 この城も1983-4年、全面発掘された後、完全に台地そのものが削平されたので、現地にたっても旧地形を想像することは難しい。現在は超高級住宅街として有名な場所になっている。余裕のある方はどうだろうか。大椎城は目の前だし、周辺は自然環境・文化財にすこぶる恵まれている。城があったところと思えば、殿様気分かも・・・

 ↑退却(大椎城)  

 

大椎城周辺の景観 ―土気の城郭群

 

タイトル 撮影地点(小字・旧地名) 大椎城主郭からの方角 撮影方向 主要対象
●大椎城 前田 大椎城ほぼ全体、大椎根古屋集落
●大椎城と立山城(1) 大椎橋西方(町田・崩ノ下境界) 南西 大椎城、村田川、立山城、御堂崎城跡、城谷台物見跡
●大椎城と立山城(2) 新大椎橋(城ノ谷) 北西 大椎城、村田川、立山城
●村田川防衛網(重要交通路をまもる城郭群) あすみが丘西南端(榊畑) 北西 大椎城、御堂崎城跡、立山城、八幡砦
●八幡砦下より見た立山城 八幡砦下(大門)
北緯35度31分28秒,東経140度15分0秒
北西 立山城、御堂崎城跡
●向砦(1) ―板倉砦側より(ここ) 板倉砦北側下 
村田川支流右岸
南 約900m 向砦、小山城。
向砦の位置:北緯35度30分37秒,東経140度15分24秒
●向砦(2) ―大椎城側より(ここ) 大椎城前田 南 約300m 向砦、板倉砦
●小山城 宮田 南東約1.2km 小山城、向砦
●板倉砦 板倉前 南 約1.5km 板倉砦、亥ノ台城。板倉砦の位置:北緯35度30分26秒,東経140度15分18秒
●金剛地砦 (未完) 不明 南南西
約2km
金剛地火の見

 

イベントお知らせページ

土気の南西の守りの中核、大椎(おおじ[い])城とはどんな意味をもった城か?まずはここをご覧ください。
土気城郭マップ どんなところに城郭が設けられているか、ごらんください。見事に守りを固めています。土気の城郭群は土気の地域個性を示す大切な文化遺産です。一度失われたら二度と戻りません。大切にしましょう。
1/25,000地形図:

東金(南西) ・・・大椎・土気

茂原(北西)・・金剛地・本納

国土地理院の試験運用ページ。地形図閲覧システムの利用規定に注意。閲覧以外の利用はできません。「大椎町」の文字の上の台地が大椎城。「板倉町」の文字の上の台地が向砦。下の台地が板倉砦。その南西対岸が猪ノ台城。「あすみが丘9丁目」の「目」の付近が小山城。

 

小高春雄1994 『千葉県中近世城跡研究調査報告書 14集 −土気城跡・池和田城跡測量調査報告− 平成5年度』千葉県教育委員会、1994年。

小高春雄1998  「大椎城」「大谷城」「土気城」笹生衛・柴田龍司編『千葉県の歴史 中世1 考古資料』千葉県、1998年

千葉市文化財調査協会編1993  『土気南遺跡群 3大谷城跡[小食土町]』千葉市土気南土地区画整理組合発行。

千葉市文化財調査協会編1996  『土気南遺跡群 8 (後台遺跡ほか)』 千葉市土気南土地区画整理組合発行 。

千葉県文化財センター1998 『第376集千葉県埋蔵文化財分布地図3−千葉市・市原市・長生地区(改訂版)− 』1998年6月。

千葉市教育委員会文化課2000 『千葉市遺跡地図』2000年

千葉市史編纂委員会1993 『絵でみる図でよむ 千葉市図史 上・下』1993年3月。

 

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大椎城遺跡めぐり part 1(周辺 2002年4月21日)

大椎城遺跡めぐり part 2(城内 2002年5月19日)

 

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