千葉市の貝塚群資料
 

― 都川上流左岸・千葉市若葉区川井町・五十土町ー

川井貝塚

▲川井貝塚から都川本流方向をながめる

 手前の白っぽいものは貝殻。土器片などの遺物も混じる。園生貝塚研究会のいうA貝層(堀ノ内・加曽利B期)にあたると思われる。前方の橋付近では工事を行っている(2004年3月)。

 右前方が都川本流の源流=誉田高田貝塚(約2.9km上流)である。中央方向にも泉自然公園の北側の谷が入り込んでいるが、その谷をさかのぼり、最奥部(宮ノ台遺跡)で上陸すると、東側には、鹿島川支流の谷が入っており、その東対岸には八反目台貝塚が所在する

概要

  ● 川会いの貝塚−縄文人の出会い・交流の場か?

 かわいかいづか。誉田高田貝塚・野呂山田貝塚・八反目台貝塚などともに、10km以上海岸線より内陸に入った都川上流の貝塚群をなす。立地の点でまず目を引くのは、「川井」=川合いの地名が物語るように、都川本流・支流の合流点の河岸段丘上にある点である。これらの河川を海への交通路として利用したであろう貝塚集落の人々、誉田高田貝塚人と八反目台貝塚人、そして野呂山田貝塚人はこの付近で出会い交流していた可能性が高いのではないか。川井貝塚人たちはどういう関係・立場だったのだろうか・・・・

 園生貝塚研究会は、草刈場貝塚(貝塚町貝塚群)のような直径200mにもおよぶ環状貝塚に比較すれば、小さいが、全国的水準から見れば、けっして小さい貝塚とはいえないとし、また「遺跡の位置,立地,形状等の点で,地域の中では特異な遺跡であり,比較研究上極めて重要な遺跡ということができる」とする。くわしくは園生貝塚研究会のwebページを参照されたい。以下、主に園生貝塚研究会1998および同会のwebページを参考に記載する。

▲川井貝塚の空中写真(1974年)

 天地は上が北。中央2道路が合流する逆V字の畑付近が川井貝塚である。すぐ右=東を都川本流が現在とちがい蛇行しながら流れている。中央下が上流で誉田高田貝塚はこの谷の奥に立地する。右端やや下で開口している谷は、泉自然公園の北側の谷で、八反目台貝塚の近くに至る(右=東へ進む道は、八反目台貝塚に至る道である)。1974年当時すでに道路左側のオフウデン遺跡は削平されているもようである。園生貝塚研究会の貝層分布図(webページ)を比較参照されたい。大きな画像はこちら。国土画像情報(カラー空中写真)(c)国土交通省 1974年撮影より。

(場所)
 千葉市若葉区川井町・五十土町。北緯35度35分6秒,東経140度13分12秒。標高36mの河岸段丘上。低地との比高差は2〜3mほど。北東約1kmに野呂山田貝塚。南東約1.8kmに八反目台貝塚。南南西約2.6kmに誉田高田貝塚が所在する。八反目台貝塚・泉自然公園の方からくる支谷と誉田高田貝塚からの都川本谷が合流する地点にあたる。

(規模・形態・地形)
 東西約10m,南北70mの範囲に3つの貝層が分布する点在貝塚である。

(時期)
 縄文時代中期・後期・晩期、古墳時代、奈良平安時代、中世、近世。

(貝種)
 主体はイボキサゴ。そのほかハマグリ、ウミニナ(以上、園生貝塚研究会)。



 

 

     
A貝層(手前右の白っぽい部分)を北側より撮影 ▲川井貝塚遠景(柏葉第一遺跡下の橋より南方向)

 前方先は貝殻まじりの砂(非貝塚)で盛土されている。貝層B(加曽利B・安行式期)はその下になってしまった模様である。右端は道路であり、その下にも貝層がのこっていると推定される。写真外右は台地になっており、オフウデン遺跡があったが、削平されて川井貝塚の高さとあまり変わらない高さになっている。要するに、川井貝塚については、現状からは、広い台地縁に所在する貝塚というイメージを受けがちだが、本来は、川井貝塚は、オフウデン遺跡の台地を背後にした狭い河岸段丘上につくられた貝塚、ということである(以上、園生貝塚研究会)。写真外左前方に縄文土器片の落ちている箇所があるが、どいういう性格のものか不明である。

 中央やや右の河岸段丘上・鉄塔の向こう側が川井貝塚。川は都川本流。左前方の台地は泉自然公園。野呂山田貝塚人は、やはり川井貝塚付近まで陸路歩き、都川に出たか。あるいはこの撮影地点付近に出て都川をくだったのではないかと想像されるが、どうだろうか。

 

 (備考)
 川井貝塚は、千葉市が財団法人千葉市みどりの協会に委託している泉・平和サイクリング事業サイクリングコース(泉自然公園−平和公園)の沿道にある。


(参考文献)

 園生貝塚研究会1998 『貝塚研究』第3号

 千葉県文化財センター1998 『第376集千葉県埋蔵文化財分布地図3−千葉市・市原市・長生地区(改訂版)− 』1998年6月。

 千葉県文化財保護協会1983 『千葉県の貝塚』

 千葉市教育委員会2000 『千葉市遺跡地図』

 

1/25,000地形図:

千葉東部(南東) 野呂山田貝塚

蘇我(北東) 川井貝塚・八反目台貝塚・誉田高田貝塚

国土地理院の試験運用ページ。地形図閲覧システムの利用規定に注意。閲覧以外の利用はできません。以下の位地は目安です。

▲野呂山田貝塚:北緯35度35分28秒,東経140度13分45秒。

▲川井貝塚:北緯35度35分6秒,東経140度13分12秒。

▲八反目台貝塚:北緯35度34分34秒,東経140度14分14秒 標高53.3m。

▲誉田高田貝塚:北緯35度33分43秒,東経140度12分46秒。

 

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