報道資料

【『千葉日報』 2005年1月1日1面 (年頭ごあいさつ)】

 加曽利貝塚を世界遺産へ

  

千葉日報社取締役会長土屋秀雄

 新年あけましておめでとうございます。昨年は自然災害が多く、被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興を祈念いたします。

 本県は幸い、大きな被害がありませんでしたが、油断は禁物、正月早々から一朝ことある時に備えて、準備を心がけておきたいものです。

 さて、本県は、戦後目覚ましい発展を遂げた産業立県としてその高いアベレージは国内外に広く知られているところです。しかし、惜しむらくは、文化面で、アピール不足か他県に比べていささか劣り、「文化果つるところちば」などと雑誌で揶揄(やゆ)されるなど誠に残念でなりません。

 事実、考古学の面では本県は縄文、弥生、古墳時代の遺跡、遺物の宝庫といわれ、中でも千葉市加曽利貝塚博物館は、世界にたった一つの専門の貝塚博物館として海外でも知られています。

 もともと、日本の近代考古学は、一八七七年(明治十年)アメリカの動物学者E.・S・モース博士の東京・大森での貝塚発見によりスタートしたことは衆知の事実です。

 それらの研究結果から、数千年前の地球気温は高く、南北極の氷結が溶けて関東平野を海水位が上げて東京湾の最北は栃木県の南部まで達していたといわれています。

 その海進時代、我々の先住民は、海辺の台地に集落を作り、大量に「海の幸」として貝の採集をし、自家用ばかりか、土器をつかってゆでたあと乾燥、「干し貝」として遠隔地まで運び、物々交換で生計を立てていた―といわれています。

 その証拠は、貝塚で発掘採取された廃棄貝殻の層に混埋された石器(ナイフ)や土器(鍋・サラ・茶碗など)人骨、獣骨などによって古代人類の生活様式が事細かく判明していますが、とくに石器の産地から推定して私たちの先住民は、その商圏を百キロメートルという行動半径をもっていただろうという研究者もいます。遠い昔、すでに海産物の輸出をしていたとすれば、その商魂は実にすばらしいことと思います。

 ところで、この貴重な貝塚がバブルの波にのみ込まれ宅地化などで次第に姿を消そうとしています。そこで千葉県の文化の誇りを内外に示すためにも質、量ともに世界に誇る加曽利貝塚を中心とした県内の貝塚群を世界遺産に認証登録することこそ、文化の香り高い県づくりにふさわしい課題と信じるものでございます。そこで、愛県心の強い皆様方に戦後六十年の節目の年を迎え「千葉貝塚の世界遺産登録促進運動」に参加、協力をお願いする次第です。

 

【出典】『千葉日報』 2005年1月1日1面 「年頭のごあいさつ」

 ※原記事には土屋秀雄千葉日報社会長の肖像写真が掲載されていました。

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この記事は、土屋秀雄千葉日報社会長の格別のおはからいで、転載しています。この場を借りてお礼を申し上げる次第です。(管理人)

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