遺跡めぐり
  2004年10月03日(日)

加曽利町をあるく  (1)(仮)

― 千葉市若葉区加曽利町 ―

加曽利貝塚公園前(10:00集合) →花輪貝塚→若郷古墳群・土手跡→新発見の貝塚→高伝寺→加曽利城→姫宮古墳→姫宮遺跡→花輪貝塚→夕霧城→ジュンサイ池→バス停「桜木保育所」(小桜橋通り) (12:30頃、解散)

遺跡めぐりのお知らせ 

1/25,000地形図:■千葉東部(南西)    
                               国土地理院地形図閲覧システム。閲覧のみ。

 

▲「加曽利−花輪貝塚街道」?

 加曽利貝塚公園の前の通りを南に約1kmほど道なりに進むと、もうひとつの巨大環状貝塚、花輪貝塚のある場所につきあたります。明治初年の陸軍迅測図にも基本的に同じルートの道が載っています。証明は困難ですが、加曽利貝塚人と花輪貝塚人が往来する道だった可能性があります。

▲花輪貝塚

 直径約120mの環状貝塚。縄文後期のうち、堀之内1式期・2式期のごく短い期間(だいたい100〜200年間)に集中的につくらている点、台地先端部の斜面に環状につくられた貝塚である点、カガミガイの割合が多い点、都川・葭川流域のほかの環状貝塚に見られない特異な環状貝塚です。古墳時代・奈良平安時代の高密度の集落跡でもあり、弥生時代の遺跡としても重要です。民間企業が開発を計画していますが、日本考古学協会等から保存要請が出ています。

▲若郷古墳群

 道路わきの藪の中に円墳が3基あります。行政の遺跡地図では「若郷古墳群」との名称を使っていますが、地元の人が「鬼願塚」とよぶ場所の塚群に該当すると思われます。

▲野境土手? その道路の向いは、公園ですが、土手の跡がのこっています。これは途中、一部、壊されていますが、大泉台古墳群のところまで延々と続きます。江戸時代の絵図に出てくる野境土手だと思われますが、はっきりしません。

 ▲新発見の貝塚

 下見の際、発見した貝塚です。遺跡地図にマークされていない場所です。

 

 ▲新発見の貝塚

 天気のよい日に撮影した写真です。
貝種はハマグリ、キサゴなど。土師器や須恵器のかけらをともなっています。赤褐色の須恵器のようなものも見えますので、平安時代の住居跡に伴う貝塚かもしれません。

▲高伝寺

下見のときの写真。左手の裏山が加曽利城です。

▲作遺跡・加曽利城跡

 台地上先端の藪の中には、円墳ないし塚が7基以上あります。写真前方に1基大きな円墳が映っているのですが。加曽利城は台地基部、写真右手のほうです。台地基部をのぞき、三方は急崖でまもられています。

 

▲加曽利城

 かつては方形の土塁がまわっていたという情報があります。現状では、大きな窪地があります。腰曲輪状の整形された地形や土塁の残欠とも塚の跡とも見える箇所があるほか、微妙な凹凸がありますが、遺構かどうかの判別は簡単ではありません。現状では、城館とはっきりと断言できるような明瞭な遺構はありません。

 
yygucciさんに写真を提供してもらいました。

加曽利町をあるく (2) 工事中

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