遺跡めぐり
  2005年4月03日(日)

貝塚町貝塚群(千葉貝塚)をあるく  (2)

― 千葉市若葉区貝塚町 ―

国道51号線バス停「都町」(9:30集合) →貝塚銀座通り貝塚城主郭・西光院貝塚大門古墳台門西遺跡台門貝塚→荒屋敷支谷→台門北貝塚荒屋敷貝塚荒屋敷西貝塚荒屋敷北貝塚→谷津堀貝塚→向ノ内東遺跡→草刈場貝塚 (12:00頃、解散)  
 遺跡めぐりのお知らせ 

 空撮画像  1/25,000地形図:■千葉東部(南西)  国土地理院地形図閲覧システム。閲覧のみ。

 
台門北貝塚
 台門貝塚と荒屋敷貝塚の間の谷です。左方の台地上が荒屋敷貝塚。右方の台地上が台門貝塚。谷底にあたる写真前方の畑にも貝層があります(台門北貝塚)。
 南北に延びる貝塚台地には、東西からあわせて6つの谷が入りこんでいます。見慣れた者にとっては、普通と見えがちな地形ですが、県外から参加した考古学の専門家は「深い谷に感動した」と感想を述べられました。貝塚台地が貝塚の最密集地になった大きな要因のひとつがこの地形にあることは間違いないでしょう。
荒屋敷貝塚(国史跡)
 京葉道路貝塚トンネルの真上です。貝塚町貝塚群(千葉貝塚)の要の位置にある貝塚でしたが、当初、京葉道路延長により破壊されることが予定されていました。地元在住の故中野春夫氏、宍倉昭一郎氏らが保存を熱心に訴えた結果、関係各方面がこれに応え、1977年3月、トンネルで京葉道路を通過させることで決着。荒屋敷貝塚は救われました。地域の一体性と環境の点でも最悪の状態を免れたといってよいでしょう。1979年3月、国の史跡に指定。写真は西の貝層上。中央窪地は写真左端になります。
▲荒屋敷貝塚の木陰にて
  荒屋敷貝塚は、南側に開口部のある直径約150m縄文中期(阿玉台式、加曽利E式)を中心とする環状貝塚です。貝層の調査結果によると、貝種はイボキサゴがもっとも多くハマグリがそれに次ぎ、そのほかアサリなど。魚骨ではイワシが多く、アジ、サバ、ウナギなど20種が認められているとのことです。

▲土器づくりの会でつくった傑作で説明
 阿玉台式と勝坂式との間の折衷土器が荒屋敷貝塚でみつかっています。東京西部以西との交流が考えられます。写真は、阿玉台式と勝坂式の傑作(一番手前のはインパクトがありますね)を使って土器形式の講義をしてるところです。荒屋敷貝塚で出土した黒曜石は、ほとんどが神津島産で、少量箱根産が含まれているとのことです。

 ▲荒屋敷貝塚の貝層=土手部分をまわる

 史跡に指定された荒屋敷貝塚には説明版以外何の施設もありません。すばらしい空間です。無用の用。余計なものがないからすばらしいのです。寝ころがって空を見上げることをお勧めします。
※近くに公衆トイレがないのは困りますが。
※はじめて千葉市を訪れた他県の教育委員会関係者は、千葉駅からここまで来て、はじめてほっとする空間に出会った、と感想を述べていました。
荒屋敷西貝塚/荒屋敷(西)貝塚
 点在貝塚。縄文中期(加曾利E式)、縄文後期(堀之内式、加曾利B式)の貝層のほか、縄文前期(黒浜式・植房式・諸磯式)の貝層があります。貝塚台地でもっとも古い貝塚であり、かつ西関東系の諸磯式と東関東系の浮島式の接点に位置し、きわめて重要です。ここの縄文中期(加曾利E)の集落は、隣接する荒屋敷貝塚と一体の集落と考えらます。貝塚城の曲輪とみられる一画があります。(→荒屋敷(西)貝塚@園生貝塚研究会)
 ※縄文早期の東田貝塚は貝塚台地の西対岸の高品台地先端部です。
▲荒屋敷西貝塚のハイガイ
 縄文前期の貝層では、ハイガイが主体です。暖かい海の泥海底干潟に生息する貝です。関東では、温暖化が進んだ縄文早期から前期にかけての貝塚で多くみかけますが、縄文中期に姿を消していきます。環境変化の偽らざる証人です。現在、全国的にも、絶滅の危機に瀕しています。(写真は1年前に撮影したもの)
(参考)ハイガイぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑
荒屋敷北貝塚
 点在貝塚。別称東辺田遺跡旧石器、縄文草創期、早期、前期、中期から弥生後期、古墳時代後期、奈良平安、中世、近世にいたる遺跡です。貝塚が形成されたのは、縄文後期(称名寺)古墳時代後期です。貝塚を伴う古墳時代の拠点集落であるらしい点、貝塚町貝塚群内で唯一の加曽利E4式〜称名寺式期の貝塚である点、注目されます。→「荒屋敷北貝塚」@園生貝塚研究会
 地表面の状態によっては、貝層の点在する様子を一望できる貝塚ですが、あいにく今回はその様子を観察することはできませんでした。
草刈場貝塚
 くさかりば。縄文時代後期晩期に貝層が形成された全国的にも屈指の超大物遺跡です。直径は実に約200mにおよび、規模の点でも加曽利南貝塚をしのぎます。貝層は3つ切れ目がありますが、切れ目は狭く、環状閉鎖型として最大の貝塚です。北西のイボキサゴの貝層の厚さは4mに及びます。晩期まで存続した環状貝塚は少なく、その点でも貴重です。1942年7月、東大人類学教室の酒詰仲男が一直線に試掘濠を入れ、環状貝塚の中央窪地に遺構がないことをはじめて明らかにした、学史に名をのこす貝塚でもあります。(→草刈場貝塚園生貝塚研究会)。写真は南東の貝層が顔を出す畑。真っ白いのは貝殻です。はるばる関西からやってきたある大学教授は真っ白な貝殻の散らばる草刈場貝塚を目にして感極まり、「のこっている、のこっている」と地面をたたいて泣いたという話が伝わっています。なお貝塚中央を例の台門貝塚を破壊した水道道路(市道都賀宮崎町線、写真左端)が貫通していますが、草刈場貝塚についても未調査でした。
▲南西の貝層沿いに歩く
 盛土がかぶせられて巨大な貝層は見えません。しかし貝層沿いに道路がまわっており、その大きさを感じ取ることができます。一部で貝層の貝殻や土器片が露出しています。長年この地域を踏査してきた園生貝塚研究会によれば、かつてイノシシの骨が敷き詰めたような状態になっていた個所があったそうです。ところがすぐ近くの縄文中期の荒屋敷貝塚に比べて、見つかる鏃の数が少ないとか。イノシシの飼育の可能性もあり、興味深い知見です。

▲草刈場貝塚・北西
 写真右の白いのは、盛土の下から湧き出た貝殻。写真の左外下は高品支谷という位置関係になります。1967年12月、明治大学により草刈場貝塚の測量が行われましたが、今回の参加者の中に、その測量に携わった専門家がおられました。周辺環境の変貌ぶりに驚いておられました。たしかにとくにこの数年、文化財にとってだけでなく現に居住する住民にとっても貝塚町の環境は急速に悪化しています。今、貝塚群の世界遺産登録の声があがる中で、住民と行政が協力した文化財保護、ほんとうの都市計画・町づくりが必要であることを痛感しつつ、解散しました。
※参照→「風前の灯火 世界最大の貝塚 千葉貝塚(貝塚町貝塚群)園生貝塚研究会

 お疲れ様でした。
yygucciさんに写真を提供してもらいました。謝々!

(参考)
●貝塚町貝塚群を歩く 千葉市の貝塚 / ●貝塚第3自治会私設ホームページ
●「世界最大の貝塚 千葉貝塚(貝塚町貝塚群)園生貝塚研究会

※今回まわった遺跡はは貝塚町貝塚群(千葉貝塚)のすべてではありません。ほんの一部です。


貝塚町貝塚群(千葉貝塚)をあるく (1) 貝塚城・西光院貝塚〜台門貝塚

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