千葉県の城郭資料  

― 支川村田川左岸・市原市犬成ー


犬成城 (2)合横矢

 
■主郭虎口と合横矢

 

 第2郭より、主郭へ向かおう。写真、中央の倒木の×印の先が主郭の虎口であり、主郭内部へ開いている。中央手前が土橋。その両脇が空掘である。現地に立つと、土塁は高く掘側に両端が突出しており、左右両側の高所から、合横矢が迫る。強烈な威圧感。はりねずみのようにされそうである。これこそ合横矢と感嘆せずにいられない。犬成城のハイライトといえよう。パノラマにしてみたが、樹木が生い茂っているせいもあり、写真では迫力を伝えられないのが残念である。次の写真で多少ともわかってもらえるか。

 

     

横矢の西土塁突出部 −土橋より

 わかりにくいが標柱が右上すみに見える。
 土塁上の画像はこちら

合横矢の東土塁突出部 −土橋より

 倒木のため空掘の深さがはっきりしないのが残念である。
 掘底から見上げた画像はこちら

 

■主郭内(本丸)と合横矢

 いよいよ主郭内にはいった。写真は振り返って、主郭内部より通った虎口を見たところ(南向き)。主郭の西および南は深い掘と土塁で囲まれている。土塁は高さ5mはあろうか。掘底からは8〜10mの比高差になるだろう。第2郭にくらべると、掘・土塁ともにはるかに厳重である。比較的低いところから土塁の上によじのぼってみた。

 主郭の北西端の土塁先端部上より北の急崖をのぞく。足をすべらせて落ちたら、ただではすまないであろう。足がすくみ頭が一瞬くらっとする。この迫力が写真では伝えられないのがもどかしい。

合横矢西側の突出部(右)と虎口(左端)

 西縁の土塁上をもと来た方向を戻る形で戻り、虎口と合横矢の箇所に来た。写真は北側から南へ伸びる土塁を背後に第2郭の方向を見る形で撮影している。たしかに土塁屈曲部の西端が突出している。同じことだが、虎口の部分がへこんでいるのがわかる。ただし実物を間近に見ると、突出部は、北から来る土塁とが直角に東の虎口へ向かって曲がる部分がふくらんだ格好をしており、西側の南北の掘にも突き出ている感じだ。写真、前方は掘をへだてて第2郭になる。右の合横矢の突出部の先端に白い柱が見えるが、「犬成城」の標柱である。やはりこの合横矢こそ犬成城のハイライトであるという認識にもとづくものであろう。設置者の見識を高く評価したいのだが・・・土橋から見上げた写真はこちら

 

 合横矢突出部先端の「史跡 戦国時代 犬成城跡」の標柱。前方右に土塁が北にのびる。虎口へ向かう土塁は右外。

 この標柱は危険である。この標柱を読むためには、突出部の先端の端、ぎりぎりのところに立たねばならない。文字すべてがはいるように撮影するためには距離をとらねばならないので、とくに危険である。というか正面から撮影しようとすればほぼ必然的に空掘(比高差7〜8mはあろう)に落ちる。やむをえず斜めから撮影した。それでも背後では深い空掘が口をあけている。せめて向きを180度反対にしてくれるといいのだが。

 

虎口西部分と土塁屈曲部 −標柱を中心に見まわす

  こんどは合横矢の西側先端=標柱から眺めている。写真中央より右が虎口。右端が空掘である。写真外右が第2郭。中央やや左上に見える空間が主郭内部である。虎口から来た土塁は、左端手前で直角に屈曲し、左前方=北に向かう。

小高春雄1999 『市原の城』 小高春雄発行。

千葉県文化財センター1998 『第376集千葉県埋蔵文化財分布地図3−千葉市・市原市・長生地区(改訂版)− 』1998年6月。


空撮 犬成城(1974年)   
1/25,000地形図:海士有木(北東)

国土地理院の試験運用ページ。
犬成城主郭 
北緯35度29分25秒,東経140度11分28秒

YAHOO 地図情報  寿福寺の南東約500mの舌状台地上

 

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