東京湾東岸の大貝塚をあるく −市川の巻1
  2007年7月7日(土)

堀之内貝塚(1) −市川の大貝塚をあるく(仮) 

― 千葉県市川市堀之内2-2899ほか(旧国分村字駒形) ―

(参考) 
 ■遺跡めぐりのお知らせ      
 ■ 1/25,000地形図: 松戸(南西)  北緯35度45分33秒,東経139度54分38秒

(コース) 
 北国分駅入口(集合)→堀之内貝塚公園・市川市歴史博物館→堀之内貝塚・見学→(昼食) 市川歴史博物館・市川考古博物館見学
 →千艘谷津→道免き谷津遺跡→外郭環状道路建設工事・発掘現場→権現原貝塚→北国分駅→(北総電鉄)
 →・・・・→



■ 堀之内貝塚  
▲駅名にはしっかりと「堀之内貝塚」とある。
 北総電鉄「北国分」駅集合。駅前のロータリーでは堀之内式土器をもった女神の像が迎えてくれます。
▲講義
 市川歴史博物館の部屋をお借りし、市川考古博物館の領塚正浩先生に市川の貝塚全般について、講義していただきました。
市川歴史博物館前
 市川考古博物館とともに堀之内貝塚に隣接しています。写真中向こう側の森が堀之内貝塚です。
 
▲堀之内貝塚へ
 森の中の貝塚へ。
 縄文時代後期(4000年前)から晩期前半(2500年前)(称名寺〜安行3d式)の遺跡です。
 貝層は、後期前葉の堀之内期から晩期前葉の安行式期。全体として、国分川下流左岸に位置する、細長く南東方向に延びた台地の付け根付近の台地縁から斜面にかけて形成されています。225m×120m、南東方向に開口した細長い馬蹄形(Uの字)。
▲貝層本体北東の端
 全体としてUの字型をしていますが、その端にいます。二つの谷津にはさまれていますが、写真向こう側の下は、北東側の「千艘ヶ谷津」(せんぞうがやつ)と呼ばれる細い谷です。比高差約5m.千艘の船が埋まっているという伝説があるそうです。丸木舟か何かが出土したことがあったので、このような伝説が生まれたのでしょうか。
「史跡 堀之内貝塚」の標柱
 都心から近く、昔からよく知られた大貝塚であり、坪井小五郎、山内清男ら研究者も多く訪れています。縄文時代後期初頭の「堀之内式土器」の標識遺跡としても有名です。
 この地域は、もともと国分町字「駒形」であり、今日の基準からいえば、「駒形貝塚」と命名されるべきでしたが、北東のバス通り近くにあたる「堀之内」地区の農民の共有林だったため、古い時代に、堀之内貝塚名の遺跡名が定着してしまいました。さらに最近、町名も「堀之内」と変更されました。
▲貝がらを見る
 全体として、ハマグリとイボキサゴが主体。そのほか海の貝。稀にヤマトシジミがまじるという感じだそうです。
▲斜面の貝殻
 千艘ヶ谷津と台地の比高差約5m.斜面は比較的緩やかです。南側の道免き谷津とは12.3m。
▲立教大学発掘地点
 1949年、縄文時代後期初めの住居址が発掘された跡です。完全に埋め戻していないので、くぼんだ地形が残っており、おかげで住居址の跡だとわかります。堀之内貝塚全体で確認されている住居址は6軒で、うち5軒が堀之内式期
▲B地点
 堀之内貝塚で晩期の遺物が出ることが確認されているほぼ唯一の地点だそうで、BankiのBをとってB地点と呼ばれているそうです。
▲Uの字のヘアピンカーブ地点
 貝層が途切れている個所があります。縄文人の踏み分け道の跡がそこにあるのではないか、とのことです。
 ▲人骨出土推定地点
 南西側に出ました。堀之内貝塚では確実には10体の人骨が出土していますが、人骨がまとまった数(少なくとも8体)出ているのはこのあたりです。斜面下はもうひとつの谷津。「道免き谷津」(どうめきやつ)です。
▲平場を見下ろす
 ゆるやかな谷が入り、台地上の土砂が崩れたりして、平場が台地下に出来ている場所があります。低地での作業場があるとすれば、平場が出来ている先あたりにできるのではないか、とのことです。
▲南西側の斜面を進みます
 地面で白くチラチラしているのは貝殻です。夥しい貝殻が散らばっています。
▲南西の斜面の貝層上を行く
 台地上につくられた加曽利貝塚や荒屋敷貝塚とのちがいを実感できます。ところで千葉市内でも木戸作貝塚や花輪貝塚は後期堀之内式期の貝塚で、かつ斜面に形成されています。堀之内貝塚での貝殻廃棄の仕方と何か関連があるのでしょうか。その背景に何があるのでしょうか。研究の進展が待たれます。
 
▲道免き谷津遺跡・外環道路工事現場を眺める
 道免き谷津遺跡は、堀之内貝塚、南西下の谷でみつかった低湿地遺跡です。指でさし示している地点がさらしのための木組み遺構が見つかった個所です。
道免き谷津・木組み遺構検出個所
  黒い山の左側あたりです。晩期の初めにあたり、堀之内貝塚をつくった人たちが作業をした場所だと推定されています。またこのような作業場の存在は、この頃の縄文人が貝などの海産物から陸の資源に食料の比重を移していったことに符合しているかもしれないとのことでした。
▲午前の部は終了
 ひとまずお疲れ様でした。領塚先生、ありがとうございました。

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