報道資料(1) 2004.10.01

【東京新聞さいたま版 2004年10月1日】

縄文遺跡の調査“強制終了”

   さいたま市教委『最低限は終えた』

  

 さいたま市緑区三室にある縄文時代の遺跡「馬場小室山(ばんばおむろやま)遺跡」の一部で三十日、同市遺跡調査会は民間の宅地開発のための発掘調査を終えた。しかし、現場で作業を手伝う考古学研究者らは「調査は終わっていない」と主張し、日本考古学協会も保存を求める声明を発表。市教育委員会は「最低限の調査は終えた」としている。 (磯谷 佳宏)

 

■考古学協会 保存求める

 

 同遺跡は、およそ五千年前から三千五百年前の縄文時代中期から晩期にかけての集落跡で、時代ごとに住居跡が重なっている「盛土遺構」。同様の遺跡としては国史跡の栃木県小山市の寺野東遺跡や、千葉県佐倉市の井野長割遺跡などがあり、同遺跡も貴重な史跡という。

 

 問題の遺跡の一部は面積約三千平方メートルで、今年二月に建売業者が購入し、市に宅地開発の届け出があったため、市教委は業者に発掘調査を依頼。業者が市教委を通じて市遺跡調査会に依頼し六月から調査を進めてきた。

 

 調査を進める過程で学術的に貴重な穴群や大量の土器片などが見つかり、考古学研究者や、市民ボランティアらが自主的に集まり作業を支援。それでも、予定していた九月十七日までに調査を終えるめどが立たず、期間の延長を訴える声が研究者らから上がった。

 

 調査状況を受け、同協会の埋蔵文化財保護対策委員会も「遺跡の保存処理を速やかに講ずることを求める」との要望書を市教委など関係機関に提出。市教委は業者に二度にわたり調査延長の協力を求め、業者はいずれも了承。調査は三十日まで延長された。

 

 しかし、三十日でも調査は続いており、現場で作業をする人たちからは「十分な調査が終了するまで続けさせてほしい」「貴重な遺跡で現状保存をできないのか」との声が漏れた。

 

 二十九日に現場を視察した同対策委の近藤英夫委員長も三十日「学術的に重要な意味を持つ遺跡であり、万全な調査体制と調査期間を保証していただきたい。調査の成果を踏まえ、保存に向けての議論を深めることを強く要望したい」との声明を出した。

 

 これに対し市教委は「物理的に発掘できる範囲では、できる限りの調査は終えた」と主張。「業者は調査期間の延長など最大限に協力してくれた。民間の土地である以上、市が買い上げる以外に現状保存は不可能。購入費用は出せず、記録として保存するしか現状では手だてがない」と理解を求めた。

 

  【出典】 東京新聞さいたま版10月1日

 

 上記は、馬場小室山遺跡の調査をめぐる問題をマスコミで最初に報じた東京新聞の記事である。地方版の記事であったが、東京新聞のWEBページにも掲載されたことで、馬場小室山遺跡の危機を全国に報じ、大きな波紋を呼んだ。この問題のもっとも基本的な情報源となったといってよい。残念ながら、WEBページは、掲載時期が過ぎ、削除された。そこで当サイトでの転載の許可を東京新聞・中日新聞社にお願いしたところ、同社より、快諾のお返事をいただいた。ここに掲載する次第である。

 転載を快諾してくださった東京新聞・中日新聞社にお礼を申し上げます。


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