縄紋式前期における「彩色漆文様帯」の研究

―山形県押出遺蹟出土塗漆土器の変遷―

                            鈴木正博

 

 

 

 

 

1.序―「彩色漆文様帯」による「土器社会論」―

近年の調査で縄紋式前期の塗漆土器や漆器には独特の彩色漆様式が定着していることが判明した。そこで列島先史漆芸における縄紋式前期の特徴を「彩色漆文様帯」研究(鈴木正博、2007)から明らかにするとともに、専業集団の可能性が極めて高い製作作法でもあり、これまでよりも比較の精度を高めた型式学の構築を行い、年代的な変遷や系統的な影響関係を追及する。

特に山形県押出遺蹟からは大木4式に限定された集落の塗漆土器が纏って出土した。演者はこれらの塗漆土器の「彩色漆文様帯」を分析し、漆芸製作者の系統関係と世代間における変容過程を導出するとともに、最終的には縄紋式前期における塗漆土器の位相を明らかにすることを目指し、縄紋式後晩期と同様に「土器社会論」(鈴木正博、1980)に組み込みたい。

 

2.押出遺蹟出土塗漆土器の変遷

押出遺蹟における全容の詳細は不明であるが、発掘調査時に目立つ塗漆土器の大勢は報告書(山口博之編、1990)や図録などで知ることができる。演者はこれまでに報告された資料を分析の対象とし、「線彩文」における変遷プロセスと「面彩文」への形態的移行プロセスから次に示す4階段を導出した。

 

2−1.「線彩文」の変遷プロセスとその意義

押出遺蹟の「線彩文」は赤漆の「面彩文」の上に黒漆で文様帯を描く様式である。筆状具による線描作法は横帯区画の直線文、その中を充填する主単位文としての渦文、および渦文を中心に充填構成を展開する弧線文から成っているが、注目すべき点は束線帯(何本かの線が束になり帯を形成)にある。束線帯の描出作法に型式学を適用した結果、3階段の変遷が明らかとなった。先ずは線描の丁寧さにより、1mmの細線から1.5〜2mmの太線へと、中間の細太斑線の作法を経由して漸次的に変遷する。次に線描による束線帯を構成する線の数に観られる変化も顕著であり、稠密多数線から粗雑少数線へと変遷する。この2属性の変化は相互に強い相関を有しつつ合成されて束線帯が形成されること、及び文様帯としての出現からも、

図1

出現階段】:「稠密多数細線文」(図1の1)

定着階段】:「稠密多数細太斑線文」(図1の2)

崩壊階段】:「粗雑少数太線文」(図1の3)

という3階段の変遷を顕著に示している。これらに「点彩文」が加わり、【定着階段】には弧線や渦文と複合する。

演者が導出した「線彩文」の変遷プロセスで重視すべき点は、文様構成がある程度共通しているが故に線描作法における変化が分析できたことである。このことは「線彩文」塗漆土器の線描作法シーケンスが他の遺蹟に委ねられた変遷毎の搬入結果と考えるよりも、押出遺蹟の世代間継承の過程で生起した変容結果と考えるべき在地伝統性を示している。

別な角度から検証するならば、底部の変化や大きさの大から小への変化も大きく、【崩壊階段】から顕著である。

 

2−2.「面彩文」の伴存とその変遷プロセス

押出遺蹟の「面彩文」は体部外面全面を赤漆とするものである。特にST29では「線彩文」1個体(図1の3)、「面彩文」2個体(図1の4・5)が検出され、それらは大きさも形態も共通していることから、【崩壊階段】では「面彩文」が主流となる。ここで「線彩文」と「面彩文」の大きさと形態の共通点に注目するならば、【定着階段】から「面彩文」の出現が導出され、その一方でST27(図1の6)の小形でかつ押しつぶされた「く」字状に内屈した「面彩文」が異質な存在となる。「線彩文」における【出現階段】から【崩壊階段】への大から小へという方向性に対し、最も小形で形態変化を伴うST27をより古く、あるいはそれらの途中に介在させる余地はなく、山内清男のシーケンス法に則り【崩壊階段】の直後と位置付ける。

畢竟、ST27は【終焉階段】(図1の6)として「面彩文」の最後の姿となった。これはまたこれまで主流であった「線彩文」から徐々に新たなる趨勢としての「面彩文」へという転換が生起したことを意味しているのである。

 

3.押出遺蹟における「彩色漆文様帯」変遷の意義

押出遺蹟の塗漆土器は「線彩文」と「面彩文」の浅鉢が主体で少なくとも十数個体から構成され、「線彩文」ではある程度共通する文様構図を維持しつつ秩序ある変化が顕著に観られ、「面彩文」では大きさと形態に一定の変化を窺うことができた。このような塗漆土器総体としての構造的変化が示している秩序(【出現階段】→【定着階段】→【崩壊階段】→【終焉階段】)は、交換財による押出遺蹟への継続的な持ち込みでは説明できず(搬入品ではなく)、寧ろ特定の専門集団の存在と押出遺蹟における製作の伝統を浮上させる。

 特定の専門集団の存在は「線彩文」品質における熟練度の崩壊過程として【定着階段】以降の世代間継承が窺え、そうした熟練度の品質悪化が結果的に「線彩文」そのものの価値を低めることになり、やがて「面彩文」への収斂と移行した可能性が高い。

縄紋式前期における「線彩文」の発生から「面彩文」への収斂までを「彩色漆文様帯」研究として分析するならば、押出遺蹟では「線彩文」の突然の出現から「面彩文」への収斂に至る背景の一端が明らかとなり、畢竟するに「線彩文」様式では新たなる構図への転換が達成できなかった専門集団の閉じた品質管理に社会事情を見抜く。

 

4.結語−縄紋式前期における「彩色漆文様帯」の研究

押出遺蹟における「彩色漆文様帯」研究は、塗漆土器総体としての構造的変化とともに内部秩序の意義を考察の対象としたが、押出遺蹟の形成を促した【出現階段】における外部要因の特定とその系統的母体の追求が今後の課題となった。同時に「面彩文」への収斂が様式としての文様離れを意味しており、押出遺蹟における社会事情が縄紋式前期という時期の位相としてどのように位置付けられるのか、課題への対応には列島前期遺蹟の塗漆土器を比較・分析し、変化における地域的展開とともに総合的秩序が求められる。

最後に小林圭一氏と福田正宏氏のご支援並びに佐藤鎭雄氏と秦昭繁氏のご援助を明記し、謝辞としたい。

【参考文献】

山口 博之編 19902006発行) 『山形県埋蔵文化財調査報告書 第150集 押出遺跡発掘調査報告書』、山形県教育委員会

 

 

 

 

 

 

 

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