2010−9−26(日) 

於:三室公民館

参加各位                                          「馬場小室山遺跡研究会」事務局

馬場小室山遺跡フォーラム」第47回ワークショップ

【パブリック・アーケオロジー入門】

馬場小室山遺跡を形成した「見沼文化」の人類活動と環境変遷の追及、そして未来への展望と継承

1.【パブリック・アーケオロジー実践】「見沼文化」収穫祭(10/11)の準備と熱中祭の報告

1−1.「見沼文化」収穫祭(10/11)の準備

(1)秩父の先史文化への接近

・奥秩父は「日本の分水嶺」です。甲武信岳を源流とする河川は荒川(東京湾)のみならず、笛吹川・富士川(駿河湾)、そして千曲川・信濃川(日本海)も然りです。このように3海と通じる秩父地方には如何なる文化動態が展開しているのでしょうか、「洞穴ネットワーク」を中核として「日本の分水嶺」という視点から詳細に検討します(資料A3*16頁別添)。

・文物や文化の動態は地域の在り方にも強く影響します。そこで『姥原遺跡』(栗島義明、1988)で分析された遺跡の時期別遺跡分布や『秩父郡大滝村神庭洞穴発掘調査報告書』(栗島義明・中村倉司、1994)で纏められた洞穴と平地遺跡における土器型式別遺跡の動態を参考にしつつ、「見沼文化」との比較地域史を試行します。

(2)『みぬまっぷ』の新展開

・これまでの『みぬまっぷ』は文化の概念を象徴化した羅針盤の役割を意識して展開しました。

今回からは「見沼フィールド・ミュージアム構想」と一体化した「お散歩バージョン」を披露予定です。

第一弾は「海道をゆく―縄文海進ロードでたどる馬場小室山遺跡―」です。ご期待下さい。

1−2.「見沼文化」熱中祭の報告

(1)三室中学校・校内研修会対応(8/20)

・メールにてご報告の通り、三室中学校の教員向けに馬場小室山遺跡について解説しました。井山紘文さんのジオラマは昨年のサイエンス・スクェアに続いて圧倒的な人気です。

(2)さいたま市立図書館全館への図書寄贈(8/17)

・『「環状盛土遺構」研究の現段階』67冊(大規模図書館5冊、小規模2冊)、馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム冊子と馬場小室山遺跡研究会の公開報告資料の合冊本48冊(プラザイースト4冊、他は2冊)をさいたま市立図書館に寄贈しました。

(3)(仮称)見沼基本計画<素案>へのパブリック・コメント対応

・これまでの活動趣旨に則り、見沼田圃保全の新たな展開に「見沼遺産」の活用を提言しました。

 

2.【「見沼フィールド・ミュージアム構想」】ジオ・パーク(地質遺産)の視点から「見沼文化」を考える!

・見沼田圃の都市計画に関わる埼玉県さいたま市の職員や関連団体が認識している見沼の歴史。

縄文時代、海が入り込んでいた見沼、やがて海は後退し沼地となる。←この1行で終わり!

*その沼で氷川女体神社により御船祭が行われていた。

*徳川家康は灌漑用水確保のために見沼一帯を「溜井にせよ!」と命じた。

*附島と木曽呂の間に八丁の堤を築いて水を塞き止めた(八丁堤)。

*沼地はみるみる広大な沼になった(見沼溜井)。

*以降は竜伝説と見沼田圃開拓の歴史の詳細に終始。

・馬場小室山遺跡のパブリック・アーケオロジーが導く「見沼フィールド・ミュージアム構想」は、「見沼における環境と人類活動を総合的に考え、未来への継承を確かなものと感じられる場の構築」を目指しています。そのためには「環堤土塚」や「第51号土壙」に代表される「縄文塚」の保全だけではなく、寿能泥炭層遺跡や大道東遺跡、そして四本竹遺跡などのように見沼田圃の下に遺されている見事な泥炭層などの沖積層を、ジオ・パーク(地質遺産)の視点から「縄文沼」として保全することによって、単なる沼地とされ僅か1行で説明される場所が、新たな価値の有する「見沼文化」として蘇ります。

・見沼田圃の下には何があるのでしょうか、「見沼文化」の本質はこの問いから始まります。開発による破壊を免れた見沼田圃の沖積層には、環境史を復元するための豊富な資料が眠っています。

そこで地質学や自然地理学から多くのことを学びたいと思います。

以 上

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送