2010−5−4(みどりの日)
於:三室公民館
参加各位 「馬場小室山遺跡研究会」事務局
「馬場小室山遺跡フォーラム」第46回ワークショップ
【パブリック・アーケオロジー入門】 馬場小室山遺跡を形成した「見沼文化」の人類活動と環境変遷の追及、そして未来への展望と継承 |
1.【パブリック・アーケオロジー実践】「見沼文化感謝祭」(5/4)を実施します!
・毎年GW恒例の「市史跡・馬場小室山遺跡のクリーンアップ大作戦」と「青空考古学教室」を実施。
「見沼文化復活祭」としての周辺遺蹟見学会は、見学対象をより広域にするため、今年はお花見の時期(4/4(日))に独立させました。契機は明治大学博物館友の会による企画でした。感謝!
・今回の「青空考古学教室」では非日常活動に用いられた遺物について紹介します。
・氷川女体神社で「祇園磐船竜神祭」(13:30〜14:30)が行われますので、歴史・民俗に関心のある方は是非ご覧ください。毎年「さいたま竜神まつり会」の方々で盛り上がっています。
2.【パブリック・アーケオロジー研究】2010年度からの研究テーマは「土偶」と「人面文」です!
・2010年度からは馬場小室山遺跡のマスコット・キャラクター「オムちゃん」(縄文時代後期「加曾利B1式」土偶)と「ムロさま」(縄文時代晩期「安行3c式」人面文土器)の考古学を進めます。
・2009年度の「見沼文化収穫祭」から井山紘文さんが中心となり、プラ板に土器や人面文、土偶を描くトライアルを行いましたが、一般の方々には縄文土器はイメージしにくいことが分かりました。どうやら人形である土偶のほうが身近に感じる傾向がありますし、想像性も発揮しやすいようです。
・そこで今回から継続的に「土偶談話会」を行い、土偶と人面文のパブリック・アーケオロジー研究はどうあるべきか、検討したいと思います。今回は導入として以下の話題を提供します。
話題1:「土偶研究の面白さ」 :矢花由希子さん
*土偶のどこにひかれたか、そして何を知りたいのか、自由にお話し頂きます。
話題2:「こんな土偶ってあり?」:鈴木正博さん
*土偶の頭や額に稀に貫通孔があります。吊してどうするのでしょうか?
・次回は「土偶研究のあゆみ」について後藤和民さんによる当時の考古学の考え方を検討したいと思います。後藤和民さんの若い頃は過去を過去化する戦後特有の時代背景がありましたが、パブリック・アーケオロジー研究としては過去から未来を観ようとする視座で、学史を宝島と観る視点によって新たな可能性を見出すように心掛けたいと思います。
3.【「見沼文化」のパブリック・アーケオロジー】21世紀の「見沼文化」とは「見沼フィールド・ミュージアム構想」
・見沼田圃の都市計画に関わるさいたま市職員や関連団体が認識している見沼の歴史は概ね以下のような記載状況です。
*縄文時代、海が入り込んでいた見沼、やがて海は後退し沼地となる。←この1行で終わり!
*その沼で氷川女体神社により御船祭が行われていた。
*徳川家康は灌漑用水確保のために見沼一帯を「溜井にせよ!」と命じた。
*附島と木曽呂の間に八丁の堤を築いて水を塞き止めた(八丁堤)。
*沼地はみるみる広大な沼になった(見沼溜井)。
*以降は竜伝説と見沼田圃開拓の歴史の詳細に終始。
・今、見沼の未来を考えるときに重要な視点は、見沼田圃で農業が衰退していく現状を人類史の中に位置付けることです。そのためには見沼田圃以外は歴史ではない、という教条主義は捨てましょう。自然と人類の共生が永遠ではないことは縄文時代の「見沼文化」が教えてくれるでしょう。
失われた人類史を取り戻し、見沼における環境変動や社会変動との関わりを知り、現在を未来に向けてどうしたいのか、つまり、見沼田圃からの脱却の姿をどのように描くことができるか、それが問われているように思えてなりません。
・見沼にはその時代時代に合った「見沼文化」が形成されてきました。見沼田圃による現代版「見沼文化」は限界と直面しています。そこで21世紀の「見沼文化」を考えるとき、その棲家を譲った竜に相当するのは一体何でしょうか? あるいは井沢為永の技術に匹敵する時代の要求とは何でしょうか?「見沼文化」のパブリック・アーケオロジーが「見沼フィールド・ミュージアム構想」へと転換する所以です。
4.【パブリック・コメント】(仮称)見沼基本計画に対してコメントしましょう!
・「セントラルパーク基本構想」(2001〜2002:「見沼グリーンプロジェクト研究会」が「見沼新時代へ」提言)
・「実現化方策」調査検討(2003〜2006:「見沼グリーンプロジェクト懇話会」意見)
・「(仮称)見沼基本計画骨子」(2007〜2008:「見沼グリーンプロジェクト懇話会」意見)
・「(仮称)見沼基本計画素案」(2009:「見沼グリーンプロジェクト懇話会」意見)
・「(仮称)見沼基本計画最終校正・公表」(2010:パブリック・コメント&「(仮称)見沼基本計画策定協議会」意見)
*「見沼フィールド・ミュージアム構想」の視点から皆さんコメントしましょう!
5.【「見沼フィールド・ミュージアム構想」支援】馬場小室山遺跡の過去と現在から未来を考えます!
発信する「見沼遺産」と考古学の現代的意義―地域貢献と遺跡の底力― |
<海道をゆく―縄文海進ロードでたどる馬場小室山遺跡―>
「見沼フィールド・ミュージアム構想」における考古学の役割は以下の4点であるが、一言で言えば、見沼の身近な遺跡や遺物によって人類活動の痕跡を観察し理解する考古学の方法に触れ、見沼の新たな魅力を発見し、見沼田圃にとどまらない地域貢献の在り方を深耕することである。
(1)名もない人びとの活動を発見し、観察することの楽しさに触れよう。
「見沼田圃」という歴史以前に見沼の環境とともに生きてきた人々の文化を追求する学問として考古学がある。考古学のフィールドとして見沼の縄文時代遺跡を実際に歩き、遺物に接して何千年前の人びとについて考える。
・大地に埋もれていた価値を掘り起こす体験をする。
・残された断片から過去を復元する考古学の方法を知る。
(2)かつて見沼にも地球温暖化があり、冷涼化もあった。大地に遺された記録から読み取ろう。
今日の温暖化は環境破壊を一因としているが、縄文時代から環境変遷としての温暖化も経験しており、環境適応の実際について知見を深める。
・自然と人類が共生していた頃の環境変化への対応と縄文時代の地域文化の形成を、身近な見沼の貝塚や低湿地遺跡から検出された動植物によって理解する。
(3)発信する「見沼遺産」の素晴らしさに接しよう。
1万年以上続いたとされる縄文時代であるが、見沼の大地には継続して多くの遺跡が形成されており、遺跡銀座と称されている。それを「見沼遺産」(「見沼田圃」とその周辺の文化遺産の総称)と呼び、何を発信しているかを読み解く。
・縄文時代の各時期の遺跡の在り方を通して、見沼を取り巻く縄文時代集落の形成と環境適応の多様性を学ぶ。
(4)街づくりや人づくりに貢献する考古学の新しい役割に注目しよう。
「見沼遺産」はどこか特別な場所にあるのではなく、往時の環境と人類の共生の姿そのものである。その多くは高度経済成長期に列島改造とともに姿を消したが、まだ身近な見沼周辺の台地縁辺にはひっそりと「見沼遺産」が残されている。緑区三室の馬場小室山遺跡も最近市史跡に指定され、市民の交流の場となっている。
・街づくりや人づくりなど考古学が現代社会における人間探求にどのように役に立つか、「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」の活動からパブリック・アーケオロジーという新しい潮流を展望する。
以 上
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