2008−03−02(日)  於:三室公民館

参加各位                                             「馬場小室山遺跡研究会」事務局

馬場小室山遺跡研究会」第34回ワークショップ

パブリック・アーケオロジーの極意 : 「遺跡のサイエンスとアート、そして未来へのマネジメント」】

(馬場小室山遺跡を中核とした「見沼文化」の解明と「複合領域における価値連鎖」の推進)

1.【マネジメント】5/4「クリーンアップ大作戦」−不思議の縄文むらと「ムロさま」−

・恒例となった5/4の「クリーンアップ大作戦」は、現地で馬場小室山遺跡を考える絶好の機会となっている。現地観察と「青空考古学教室」をメインとしたパブリック・アーケオロジーの実践として展開してきたが、今回から「見沼文化」に関わる「不思議テーマ」を設定したい。そこで今回は「温暖化」に関する話題はどうであろうか。

・また、史跡指定地区が当時の集落の一部に過ぎないためのなかなか全体の様相がつかみづらいことと、馬場小室山遺跡という場所に固執して長期間生活し続けた縄文時代後晩期の価値観を象徴させた今後の史跡活用を意識して、例えば「不思議の縄文むら」というようなキャッチフレーズでお掃除を楽しんではどうだろうか。

2.【学習】非日常の世界―縄文時代の鳥獣爬虫類等遺物からみた動物アニミズム(八百万の神)―

◎縄文列島は地理的に東西にも南北にも長く地形も変化に富み、自然環境が多種多様である。しかもそればかりでなく、年代も長きにわたるために環境(気候)変動の影響も甚大で、現在の環境からの地形的類推は殆ど不可能に近い。先史考古学的には遺跡出土の動物遺体と骨角器・貝製品、それに加えて土製品などから「人類−動物関係史」を構築するが、その過程で多様な形態のアニミズムに感動することが多い。

(1)海と動物アニマ(霊) : ◎黒潮系や親潮系の違いを超えて共通している点は注目。  ★貝類は省略!

【サメ】:歯・椎骨穿孔装身具が一般的。   【イルカ】:歯穿孔装身具が一般的。骨製も稀に検出。

【その他海獣】:小杉康が美々4遺跡土製品で想定したが形態的には疑問。歯牙穿孔品や指骨・肢骨穿孔品。

【ウミガメ】:指骨穿孔装身具が一般的。甲羅例有り。海獣同様の鰭脚に特徴、陸ガメとは足形態が異なる。

(2)空と動物アニマ(霊) : ◎土肥孝は美々4遺跡の動物形土製品に頭部形態を含めて飛翔する姿を想定。

【トリ】:福田貝塚や大貫落神貝塚の「加曽利B式」鳥形精製土器が代表。弥生式粗製土器の諸例とは無関係。

(3)山と動物アニマ(霊) : ◎畏怖の念が感じられる代表的な動物。

【クマ】:北日本を中心にクマ形土製品や犬歯穿孔装身具が代表的。高井東遺跡ではイノシシとクマのキメラ。

【オオカミ】:貝鳥貝塚の下顎骨製垂飾品や彫刻のある指揮棒が逸品。骨製品や犬歯穿孔装身具が代表的。

(4)水辺と動物アニマ(霊) : ◎「見沼文化」の特徴は陸ガメ、とりわけ足の特徴からスッポンなのですよ!!

【スッポン】:大宮市東北原遺跡や蓮田市久台遺跡等の亀形土製品が代表的。「亀ヶ岡式」にも亀形土製品。

【イノシシ】:イノシシ形土製品や牙製品、「諸磯式」系のイノシシ装飾土器等が代表的。前期の側ヶ谷戸貝塚型祭祀。縄文人とイヌによる集団猟の対象かつ強敵。晩期には幼獣による金生型祭祀が執行。

(5)身近な動物アニマ(霊) : ◎馬場小室山遺跡の晩期環境は沼沢の水辺と隣接する大潮時汽水域にあり!

【イヌ】:イヌ形土製品や埋葬が代表的。【シカ】:鹿角製儀杖、叉状角器や奇形角製品等外部形態の利用。

【サル】:サル形土製品や中妻貝塚の赤色塗彩頭骨等。【ムササビ】:岩手県草ヶ沢遺跡ムササビ形土製品等。

【タヌキ・キツネ・カワウソ】:下顎骨の穿孔装身具等が代表的。【カエル】:貝鳥貝塚の彫刻等。

【ヘビ】:中期のヘビ装飾土器等。その他に【サカナ】【昆虫】等も指摘されており、居住環境や生業環境の日常に対する非日常として各種各様の動物アニマが誕生している。

3.【学習】弥生時代の「見沼文化」と拠点的な集落形態−環濠集落の馬場北遺跡を歩く!−

・埼玉県における弥生時代の環濠集落は大宮台地南部、とりわけさいたま市に集中して検出されている。小出輝雄の研究によれば、中期「宮ノ台式」期に5ヶ所(内さいたま市2ヶ所(大和田本村北御蔵山中))、後期「久ヶ原式」期3ヶ所(内さいたま市0ヶ所)、「弥生町式」期3ヶ所(内さいたま市1ヶ所(大谷場小池下))、「前野町式」期16ヶ所(内さいたま市12ヶ所)、「五領式」期3ヶ所(内さいたま市2ヶ所(本埜・土屋下))の計30ヶ所(内さいたま市17ヶ所)という状況である。開発の多寡による状況であるのか、社会的要因であるのかは不問とせざるを得ないが、さいたま市に集中しているのは奥東京湾における河口域という地理的な要因も大きいように思う。

・では、「見沼文化」の様相はどうであろうか。大宮台地の中期「宮ノ台式」期2ヶ所は「見沼文化」の旧大宮市のみ。後期以降も6ヶ所(北宿馬場北-61北袋新堀染谷深作東部)と健在である。特に馬場北遺跡と北宿遺跡は隣接しており、弥生時代後期における「見沼文化」の中心的な地域であった可能性が考えられる。

・弥生時代の「見沼文化」概観については斎藤瑞穂さんの当日発表をお楽しみに!

以 上

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