2007−12−1(土)  於:浦和博物館

参加各位                                             「馬場小室山遺跡研究会」事務局

馬場小室山遺跡研究会」第31回ワークショップ

パブリック・アーケオロジーの極意 : 「遺跡のサイエンスとアート、そして未来へのマネジメント」】

(馬場小室山遺跡を中核とした「見沼文化」と パブリック・アーケオロジー2008 の土台構築)

1.【重点研究テーマ】馬場小室山遺跡から展望する縄文時代後晩期の集落と地域(その4)

-1.【研究と学習】:貝塚の形成からみた「見沼文化」―地域文化への眼差しとしての縄文海進―

・浦和博物館の特別展「さいたま市内の貝塚―土に埋もれた海の記憶―」(10/6〜12/9)は、大宮台地における縄文海進と貝塚形成の関係が理解しやすく、専門家にはお奨めの展示であり、パブリック・アーケオロジーとしては展示説明が必要である。今回の会期に都合がつかない場合は、幸いにも岩槻郷土資料館への巡回展(12/22〜2/3)が予定されているため、真福寺貝塚・泥炭層遺跡と併せての見学を推奨したい。

・大宮台地は奥東京湾に突き出た半島状を呈しており、東側は中川低地、西側は荒川低地によって開析されている。半島状の南端に当たる川口市は両低地や見沼との交差環境に恵まれ、海退時の汀線から河口域への環境変遷に適応した縄文時代後晩期の貝塚が発達している。

・川口市に隣接するさいたま市は海進時の早期や前期の貝塚が多く、とりわけ前期の貝塚集落が著名である。さいたま市の貝塚分布は早期7→前期55→中期4→後期7(計72:前期と中期で重複が1)と変遷するが、旧岩槻市だけで早期1→前期30→中期1→後期3(計34:前期と中期で重複が1)といように貝塚分布の半数を占めている。因みに真福寺貝塚のように遺跡名に貝塚を冠するのは72遺跡のうち45貝塚である。他は馬場小室山遺跡のように地表面での貝殻散布が確認されず、発掘調査で貝層が検出された例が殆どである。

・「見沼文化」も概ね同期しており、縄文時代前期に貝塚の形成環境の隆盛を向かえ、中期に激減し、後期には川口市側に発達する様相を呈している。この現象を社会的な要因のみで理解するよりも、古鬼怒湾や千葉市貝塚群と同様に環境要因(小海進)も加味した居住形態として考察している。

-2.【研究と学習】:縄文時代後晩期における内水面漁撈の馬場小室山遺跡と沿岸漁撈の大森貝塚

・「見沼文化」の地理的中核に位置する馬場小室山遺跡周辺では後晩期には貝塚を形成しない。その自然環境は湖沼地帯が復元され、荒川低地との合流地帯の自然堤防による封鎖環境以前の状況が想定される。

・大潮時における荒川は旧浦和市まで逆流が確認され、やや下流の戸田市では大潮時の1日の水位が2mも変化するといわれている。民俗例ではその干満の差を利用した漁法として「建干(たてほし)」が著名である。

・他方で同時期の大森貝塚は直接東京湾に半島状に突き出した先端面に立地しており、広い海原が目前の居住形態である。従って、内水面交通に加えて海水面交通による地域間交流が顕著であり、釣針の製作技法や琥珀製品やオオツタノハ製貝輪など、さらには異系統土器群の定着にそれらを窺うことができる。

・拠点集落の要所が多様な形態となるのは、環境資源管理面における高度な環境適応と人的資源管理面における効率的な地域間交流によって、柔軟な地域社会が形成されていたからであろう。

-3.【研究と学習】:「加曽利B2式」の形成と「細分布系列」(3)―「半精製土器様式」から観た「細別」―

・真正の「加曽利B2式」とは「加曽利B2式遠部系列」を指すが、その中核を占める「精製土器様式」の装飾である「充填斜線文」の成立には非縄文の「安行3c式」成立過程と同様な視点、即ち、「粗製土器様式」に発達する副文様帯がやがて装飾の中心に変遷して行く過程を視点として参考に吟味する必要がある。

・「加曾利B2式吉見台系列」では母体が未明であったが、「加曾利B2式西根系列」において顕著となったのは「加曽利B1-2式」以降「粗製土器様式」に発達する「地文縄文の充填斜線文」の展開である。

2.【マネジメント】第5回『馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム』(2008年10月13日(祝))に向けて

-1.「ムロさま」の新バージョン―井山紘文と飯塚邦明の融合―

・新たな視点として確立したいのは、静止している「ムロさま」からの脱却である。具体的には「先史演劇」における「ムロさま」という主役の動態装置の考察であり、盛装の動きによる音響復元である。

・黒を下地とした赤の世界であるハレの装身具を身につけて演じる際に必要なのは音響効果である。太鼓や打楽器などを中心とした構成や弦楽器も想定されているが、「ムロさま」自身が発する音楽として、貝輪・貝玉・骨玉や石製玉による身体の動きと一体となった音響効果は如何なものであろうか。

-2.無断立ち入り禁止の史跡から「市民の史跡」へ―大森貝塚保存会に学ぶ史跡の現代的意義は感動!―

・大田区時代の大森貝塚は史跡として大変狭かったが、大森貝塚保存会の方々の器量は広かった。1111日の大森貝塚発掘130周年記念イベントの途中で見学した品川区の庭園遺跡は、モースが発見した感動を再現する余地が多分に残されており、学史的な史跡として蘇生させたいものである。  以 上

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