2007−8−11(土) 於:さいたま市尾間木公民館

参加各位                                           「馬場小室山遺跡研究会」事務局

馬場小室山遺跡研究会」第27回ワークショップ

パブリック・アーケオロジーの極意 : 「遺跡のサイエンスとアート、そして未来へのマネジメント」】

(馬場小室山遺跡を中核とした「見沼文化」と パブリック・アーケオロジー2008 の土台構築)

1.第4回『馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラムー「見沼文化」と漆工芸ー』の準備

    ・2007年10月8日(月・祝日・大安) 於:さいたま市緑区プラザイースト 2F多目的ルーム+展示室1・2

    ・「見沼文化」は縄文時代の初め頃に早くも大きく花開きます。最初は9,000yBP(C14)ころに100ヶ所以上の遺跡が見沼周辺に形成されます。これは最終氷期から温暖化が進み、気候や環境の好転によって人類活動が活発になったからです。その後、早期末から前期中葉(6,000yBP(C14)-5,500yBP(C14)ころ)の見沼は海になり、「奥東京湾」と呼ばれ、多くの貝塚が形成され、馬場小室山遺跡でも小さな貝塚が発見されています。その後、馬場小室山遺跡が大集落を形成する中期(4,500yBP(C14)ころ)には海は武蔵野線付近まで後退します。更に後晩期(3,000yBP(C14)ころ)では川口市周辺でも河口域となり、ヤマトシジミの貝塚が盛行します。温暖化による「貝塚文化」の後には気候がやや冷温化し、海が後退します。しかし、縄文人は海がなくともひるまずに水辺の資源を活用した「湖沼文化」を展開し、現芝川流域では縄文時代中期から後晩期にかけての見事な漆工芸が発見されています。

・今回は別紙の企画案の通り、最先端の考古学研究について紹介するとともに、漆工芸にも焦点を当て、漆工に関わる専門家の入門講座や縄文時代の漆工芸に使用された色彩についても計画しています。 

2.第5回『馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム』(2008年10月13日(月・祝))のテーマ検討

   ・7/22(日)に行われた明治大学学術フロンティア事業『環境変遷史と人類活動に関する学際的研究』サブプロジェクト2基幹研究成果公開シンポジウムの『縄文後・晩期の地域と社会I』において予稿集に2008年までに纏めるべき研究成果の要約版を公表。当日は2006・2007年の研究成果である馬場小室山遺跡と大宮台地の後晩期遺跡の多様性について中心に発表したので、今後は2008年の研究について予稿集に従い検討する。

3.『「環状盛土遺構」研究の現段階―馬場小室山遺跡から展望する縄文時代後晩期の集落と地域―』

   ・シンポジウム『「環状盛土遺構」研究の到達点』の記録に加え、「明治大学大久保忠和考古学振興基金2005年度奨励研究」成果について纏め、馬場小室山遺跡研究会から自費出版した刊行物である。頒布目標は400部。

 3−1.【原点】:馬場小室山遺跡における学術上際立って価値ある長期継続型拠点集落の特徴 

   (1)縄文時代における「見沼文化」の拠点集落であること :縄文時代中期の大集落後晩期の集落

      ★普通の遺跡では中期と後晩期集落は隣り合っていますが、中期の上に後晩期集落をつくっています。

   (2)縄文時代後晩期の集落が後世の開発で壊されず、当時のままの状態(「環堤土塚」)をとどめていたこと

         ★寺野東遺跡は「環状盛土遺構」の典型    ★曲輪ノ内貝塚真福寺貝塚は「遺丘集落」の典型

環堤土塚」の定義 : 集落構成上の「4種の住器(住環境)」   【用語の由来】酒詰仲男の「環堤貝塚

       @「窪地文化層」の存在                           

       A窪地を取り巻く数基の「土塚」(明治時代までは平坦地でも「貝塚」や「土器塚」と呼ばれていた)の形成

       B「51号土壙」と人面文土器に代表される「晩期安行式ムロ」の構築

       C深い谷に面した立地 ←→ 浅い谷の場合には泥炭層遺跡が形成(真福寺貝塚・泥炭層遺跡など)

 3−2.【新たな展望】:大宮台地南部の「地点土塚」形成と晩期中葉の遺跡、そして印旛沼周辺へ 

   ・「安行3c式」から「安行3d式」に集落形成の中心をおく遺跡には、馬場小室山遺跡のような「環堤土塚」だけでなく、奈良瀬戸遺跡や石神貝塚のように「地点土塚」を形成している現象が顕著で注目すべき。しかも     真福寺貝塚が「遺丘集落」でもあることから、大宮台地と印旛沼周辺の晩期遺跡の徹底見直しを推進中。

・印旛沼周辺については地理的な単元と「土器型式」による検討が必須であり、印旛沼南岸の「谷奥型環状遺丘集落」印旛沼北岸から現利根川本谷にかけての「谷面並列型遺丘集落」という異なる集落形態による環境適用が行われている。後者の形態が大宮台地南部の地形と立地では「地点土塚」として現象化している。

・「地点土塚」の例として7/22には石神貝塚の東貝塚地点を紹介し、併せて晩期中葉土壙の重要性も議論した。大宮台地の集落構成で注目すべきは土壙であり、馬場小室山遺跡の「第51号土壙」の形成が彷彿とした。

   以 上

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