(2007年5月27日(日)明治大学 日本考古学協会第73回総会 研究発表要旨)

馬場小室山遺跡研究がめざしたパブリック・アーケオロジーの理念と実践

 五十嵐 聡江・鈴木 正博・馬場小室山遺跡研究会


1.序―遺跡の保存・活用と倫理綱領の狭間で!


 馬場小室山遺跡は、旧浦和市時代には文化財保護の立場から長期的な視点で保存と活用が検討された学術上価値ある遺跡である。その後、平成の大合併でさいたま市は文化財保護行政に混乱をきたし、旧浦和市の文化財保護に対する情熱が引き継がれず、遺跡の価値が反故にされた結果、不幸にも史跡公園予定地として物納した旧地権者の厚意は裏切られ、地域づくりに対する長年の信頼関係を全く失う事態となった。
 旧大宮市と旧与野市の職員は宅地業者の代理人であるかの振る舞いのみで、市民とともに街づくりに考古遺産を活用し、後世に継承していく倫理観が全く見られなかった。何のために考古学を専門としたのか、何故立場を超えて職業的専門性である倫理観を発揮できなかったのか、虚しく悲しい出来事が2004年の馬場小室山遺跡を覆った。そしてその倫理観不在が、埼玉県及び市町村の日本考古学協会員にも伝染したことは説明するまでもない。早い機会の自立が望まれる。
 遺跡の保存と活用に行政が消極的な場合、考古学はどうすればよいのであろうか。本発表は自立した市民こそが今後の考古学を支える主役であるという認識、及び遺跡の保存と活用は市民の地域づくりに学ぶという理念と展望を重視し、提言する。

2.馬場小室山遺跡研究会がめざしたパブリック・アーケオロジーによる変革―局所最適から全体最適へ―

 地域住民が旧浦和市の文化財保護施策を信じて馬場小室山遺跡の保存に立ち上がった時、さいたま市としての考古学の支援は皆無であり、地域住民は旧浦和市の文化財保護啓蒙テキストに学ぶ、「市民の市民による市民のための考古学」の【第一章】を独自に開始した。
 その後、2004年に遺跡調査会による緊急発掘調査が開始、想像をはるかに絶する「環堤土塚」集落の累積状況が検出された。旧地権者をはじめ近隣住民は保存運動の意義を確認するためにも現地説明会を切望、ここから考古学の支援が開始し、文化財保護課に対し学術上の価値への要望書を提出した。が、研究者のみの公開に留まり、地元住民が馬場小室山遺跡を知る機会はなかった。日本考古学協会からの後押しがあったものの、「知る権利」を奪われた市民にとって、馬場小室山遺跡を守れとの啓蒙書を市販した旧浦和市と、早急に壊せと指示するさいたま市の日本考古学協会員との間に見られた対応のギャップは、「藤村新一事件」の再来を思わせるモラル・ハザードであった。
 保存運動の展開並びに業者との密約開示を恐れた文化財保護課が組織防衛を展開したので、市民はやむなく助役に請願し、破壊をまぬがれた市有地について指定文化財史跡への調整を進めるとともに、工事の1ヶ月延長を可能とした。調査未了地区の継続調査を行う予定であったが、その経緯と結末の詳細については別途関係者全てを含めた実名で報告予定である。
 こうして市民が主役となり、遺跡の重要性を伝える努力や価値を共有するプロセスに考古学の役割を特化し、市民の多種の専門性で行政を監視し、行政ができないマネジメントを多様な経歴の市民が担う地域づくりを「市民の市民による市民のための考古学」の【第二章】とし、「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」実行委員会(委員長:大田 堯)を結成した。
 そこでは、馬場小室山遺跡と市民との関係が現代における地域文化の形成に大きな役割を演じることを実証し、市民の知る権利に対応するためには考古学における継続的な遺跡研究が必須であり、研究の停滞が遺跡破壊を促進させている現実を明らかにした。
 畢竟、【1】市民が学ぶ以上の努力を考古学が継続的に行い、その成果を迅速に公開すること【2】「課あって市なし」の縦割行政を見直し、課では実現できない横断的なマネジメントを市民の英知で提案すること【3】市民とともに汗を流す誠意と職業的専門性を備えるべく行政職員の意識改革を促すこと、の3点をパブリック・アーケオロジー展開方針とし、大学教育の不備を実務で補う、自立した市民をサポートする考古学活動領域、それを地域研究のあるべき姿とした。

3.馬場小室山遺跡研究会が実践したパブリック・アーケオロジーの方法(五十嵐聡江のポスター参照)

 地域住民にとっての馬場小室山遺跡とは、発掘前の屋敷林と発掘後の宅地が全てであり、そこから先ず行うべきは、考古学と市民との間の情報格差の是正である。つまり、考古学が「地中の秘密」という説明責任を果たすことが最初に求められたのである。
 そこで馬場小室山遺跡の研究を本格的に開始し、全貌を復原する努力を、市民とともに「遺跡を歩く」プロセスにより遂行した。特に全体の2割〜4割に及ぶ調査未了地区の監視を近隣の住民と協力し、2004年10月1日から毎日3ヶ月間実施し、未調査の文化層が芝川流域に廃棄されたことを確認し、さいたま市に対して埋蔵文化財保護の管理強化を要望した。
 廃棄地点を「馬場小室山第2遺跡」と呼ぶが、文化財保護課の日本考古学協会員が問題の重要性と市民の努力を認識せず、さいたま市が埋蔵文化財の廃棄を見て見ない振りをした事実を公表し、注意を喚起した。
 日本考古学協会の保存要望に対し、さいたま市教育委員会は埋蔵文化財を廃棄する指導をした。このような満身創痍の馬場小室山遺跡を市民が救おうとしたのは「行政の不作為」が契機であるが、それを現実の姿として受け止めた市民が行うべきは、文化財保護課という「不作為」組織の改革断行であった。
 許認可業務に慣れた担当の裁量権は業務の透明性を失い、市民の文化財保護姿勢に誠意を尽くさず、無理解かつ傲慢な対応を続け、そのことにより文化財保護課は市民に組織不要論を蔓延させた。その結果、地域住民は自発的に文化財保護課の対応記録を残し、刊行物として世論に訴えるという行動にでた。やはり説明責任が一番重要である。なぜ、地域住民に理解を求めることなく、闇から闇へと馬場小室山遺跡の破壊を黙認してきたのか、今もって理解に苦しむ。
 2005年4月1日付で課長・課長補佐・副主幹は市民に決して謝ることなく異動した。このような無責任な対応に接して市民はどのようにして地域を護るべきか。市民としての自立のみが頼りであり、馬場小室山遺跡の研究である価値の共有化活動は、遂に以下の市民による現代メディア・アートにまで高まったのだ。
 (1)考古学や関連学問から「見沼文化」を語りつぐ!
 馬場小室山遺跡の重要性について発掘調査を担当した方々が語る場を設定し学習するとともに、遺跡形成のベースとなった地域文化についても多様な角度から価値を掘り起こし、継承していく姿勢を確立した。特に「みぬまっぷ」という「見沼文化」のガイドブックを作成、地域文化の特徴を時々のテーマと共に紹介している。
 (2)市民による芸術表現で馬場小室山遺跡を語りつぐ新たな現代地域文化の形成―市民が主役!―
@【飯塚邦明氏】音楽「小室山のテーマ」による継承!
 保存運動のリーダでジャズ・ピアニストの経験がある飯塚邦明氏作曲の「小室山のテーマ」は、屋敷林の記憶が甦り、失った遺跡への癒しとして感動を与えてきた。日々小室山を見てきた記憶の表現方法に感服。
A【井山紘文氏】往時の集落をビジュアルに復原! 
 馬場小室山遺跡の保存に注力した画家の井山紘文氏が地理学・生物学・考古学による綿密な考証のもとに「環堤土塚」集落の様子を5枚の想像図に表現
B【井山真里氏】若い感性でマスコット・キャラクターが登場! 
 馬場小室山遺跡を中核とした「見沼文化」を代表する突起土偶の「オムちゃん」と晩期人面文土器の「ムロさま」は、親しみやすいマスコット・キャラクターで好評。
C【井山紘文氏】何と1/300の精密ジオラマ完成! 
 馬場小室山遺跡を史跡公園として市民が活用するための提案の一環として、井山紘文氏がこれまでの想像図から設計図を起こし、「環堤土塚」集落を立体的に復元し、往時の縄文人の生活についても詳細に表現。
D【浅野光彦氏】馬場小室山遺跡を映像で語りつぐ
馬場小室山遺跡の保存と活用から各々が地域を考えるパブリック・アーケオロジーを誰にでも分かりやすく伝えるべく、プロデューサ浅野光彦氏が自主制作ビデオを完成・上映。学問と市民との関係が極めて鮮明・新鮮

4.結語−パブリック・アーケオロジーの理念と展望

 さいたま市におけるパブリック・アーケオロジーとは遺跡の価値を共有化するための活動プロセスである。遺跡は現代の我々がご先祖様から受け継ぎ、未来への土台として更に後世へと継承すべきものである。行政や大学、民間企業における組織プロセスとは異なり、その主体は自立した市民として地域をどうすべきか、という将来展望を見据えた活動プロセスに存在する。
 畢竟、パブリック・アーケオロジーの主役は自立した市民であり、考古学の役割は市民との新たな関係を構築するマネジメントに存在した。その結果、馬場小室山遺跡の保存と活用研究から、市民による新たな現代文化が形成されつつある。考古学は一般市民にとってロマンに過ぎない癒しが頻繁な折り、自立したさいたま市民は身近な地域づくりパートナーとして考古学を位置付け、「市民の市民による市民のための考古学」の【第三章】が始まったのである。
                                                

 (文責:鈴木正博)
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