第60回日本人類学会大会(200611月3日〜11月5日 於:高知工科大学)

一般口演:アブストラクト(『アブストラクト集』p.37)

T25

 

馬場小室山遺蹟における縄紋式晩期ムロ(室)施設

 

鈴木正博(早大・先史考古学研究所)

 

Final Jomon chamber from Banba-omuroyama earthen mounds.

 

 

 

SUZUKI,M.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さいたま市馬場小室山遺蹟の縄紋式後晩期「環堤土塚」は、武笠家が屋敷林として14代にわたり管理してきた歴史を有し、しかも弥生式以降における土地改変が殆ど認められずに今日まで保護されてきた、中央凹地を有する直径100m超の集落址である。5基の土塚が環状に巡る「環堤土塚」の晩期施設としては、「第51号土壙」として報告された直径3.5m深さ3.5mの「多世代土器群多埋設深掘大土壙」が重要である。そこでは「安行3a式」から「安行3d式」に至る38個体の完形(含人面文)土器等が一括検出され、演者はこの施設を「晩期安行式ムロ」と命名の上、特定住民の多世代に継承された集落運営制度と考察し、弥生式「再葬墓址」への移行に新たなる課題を見出している。

 

【註】以下の註釈は10/15の「第3回馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」当日配布資料において作成したものである。

 

環堤土塚」の定義 : 集落構成上の「4種の住器(住環境)」

           【用語の由来】酒詰仲男の「環堤貝塚」

  1.「窪地文化層」の存在

  2.窪地を取り巻く数基の「土塚」の形成

  3.「第51号土壙」に代表される「晩期安行式ムロ」の構築

  4.深い谷に面した立地

 

 

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送