2006−2−26(日) 於:三室公民館

参加各位                                        「馬場小室山遺跡研究会」事務局

馬場小室山遺跡研究会」第20回ワークショップ

(馬場小室山遺跡を中核とした「見沼文化」の解明とパブリック・アーケオロジー2006の展開)

 

1.はじめに−「見沼文化」における縄文時代草創期「撚糸文系土器群」の遺跡を歩く−

      <註>草創期は山内清男の定義に準拠。明治大学と國學院大學は「撚糸文系土器群」を早期に編入。

「見沼文化」の形成期】縄文時代草創期末葉「撚糸文系土器群」検出遺跡分布 :     合計 108 遺跡

  ●緑区   :上野田西台/中原後/大古里/北宿西/北宿/馬場小室山/馬場北/宮本/三室/松木/

松木北/南宿北/南宿南/不動谷/中尾緑島/東中尾/駒前/駒前南/駒形南/井沼方馬堤/

井沼方/駒形/大間木内谷/大北/西谷/宮前/梅所/梅所南/会ノ谷/和田北/和田/

和田西/吉場/附島/谷ノ前/大崎東新井/鶴巻/玄蕃新田本田/間宮宮後/えんぎ山/

東裏西/椚谷/南方/南方西台/南方上台:                         計 45遺跡

 

  ◎1978年刊行の『浦和市遺跡地名表』以来、青木義脩氏は「土器型式」単位で遺跡の分布図を作成しており、

「見沼文化」研究の黎明期と位置付けられる。考古学研究の基本中の基本で常に見直されるべき研究でもある。

 

  【「見沼文化」の近年発見トピックス】(改訂版)

    ★中尾緑島遺跡で「黒浜式」の第2号住居址から三角形石製品が出土。軽石製品の模倣と理解すべき例。

      渡辺 清志(2000)『埼玉県埋蔵文化財調査事業団 第265集 中尾緑島遺跡 都市計画道路大宮東京線建設事業地内埋蔵文化財発掘調査報告書』:遺跡分布図が「見沼文化」にもう一息!

 

2.モースの『大森貝塚』に学ぶ(10):戦後の日本先史考古学を科学的精神に則り再検証する!

 

【視点】日本先史考古学の変革を成しえた科学的精神とは? 反省点遺跡の調査は科学的精神に支えられているか?

前回までの視点

@動物分類学から大森貝塚の土器へ接近すると?

A貝塚のロケーションから何が言えるか?

Bモースの多様な分析は何を目的としたものか?

CF近藤・佐原の名訳に隠れた自然科学的文章本来の妙味は?(1)(2)(用語が違えば意味も違う!)

−日本語訳としての「貝塚」とは本来何を指したものなのか?−「さわらび通信」に講演録を掲載

DEモースが導入した先史学の方法(1)(2)

G大森発見の遺物と大森未発見の遺物

H近藤義郎・佐原真の「解説」は正確か?

今回の視点

          I骨角器研究事始の意義  ・骨や角の加工痕に対する観察力 ・ワイマンの貝塚データとの比較

                          ・先住民の道具類との比較 などが注目される。

3.馬場小室山遺跡の研究(1):第1次調査の再検証とパブリック・アーケオロジーの視点から

報告書】 ← 順次、31次にわたる報告書の遺構・遺物について抄録網羅(データベース)作成を行います!

青木義脩編(196912)『馬場遺跡発掘調査概報』、pp.1−20、浦和市教育委員会

再検証のポイント

<モースは出土遺物の研究で変革をもたらしたが、今日的課題は遺跡の形成過程を検証することにある。>

@馬場小室山遺跡の発見

     A遺跡の立地と周辺の遺跡

     B発掘日誌によるトレンチ調査の地点別層位別追体験 ← 昔の発掘調査報告書は日誌がスグレモノ!

     C記録された遺構と遺物 ← 研究史的背景を知ることによって文章の意味が理解できるようになる。

   【研究史的背景

  ・1960年代前半は早慶明三大学による晩期論争の展開とともに山内清男による「縄紋式土器・総論」

更には下総考古学研究会による「中峠式」研究の構築などの学問背景があり、その影響を強く受けて

報告された。

                                          以 上

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