2006−1−7(土) 於:三室公民館

参加各位                                        「馬場小室山遺跡研究会」事務局

馬場小室山遺跡研究会」第19回ワークショップ

(馬場小室山遺跡を中核とした「見沼文化」の解明とパブリック・アーケオロジー2006の展開)

1.はじめに−データベース指向(齋藤瑞穂作成)から観た縄文時代草創期の「見沼文化」−

「見沼文化」の形成期】縄文時代草創期末葉「撚糸文系土器群」検出遺跡分布 :     合計 108 遺跡

  ●上尾市 :下榎戸/二十一番耕地/秩父山:                              計 3遺跡

  ●北区   :今羽丸山/土呂東:                                       計 2遺跡

  ●見沼区 :高台山/東北原/大砂土中前/鷲山/大和田本村北/大和田高明/A−68号/

南中丸下高井/中川貝塚/中川八幡/中川稲荷山/南中丸/A−64号/海老沼南/

南中野諏訪/A−61号/南中野/御蔵台/御蔵山中/鎌倉公園/篠山/丸ヶ崎/貝崎貝塚/

稲荷原/深作稲荷台/小深作前/宮ヶ谷塔貝塚/A−91号/染谷/八雲貝塚/片柳南部/

膝子八幡神社:                                           計 33遺跡

  ●大宮区 :大宮公園内/B−13号/寿能/B−7号/北袋/北袋新堀:              計  6遺跡 

  ●浦和区 :東高砂北/大谷場下町:                                       2遺跡

  ●緑区   :上野田西台/中原後/大古里/北宿西/北宿/馬場小室山/馬場北/宮本/三室/松木/

松木北/南宿北/南宿南/不動谷/中尾緑島/東中尾/駒前/駒前南/駒形南/井沼方馬堤/

井沼方/駒形/大間木内谷/大北/西谷/宮前/梅所/梅所南/会ノ谷/和田北/和田/

和田西/吉場/附島/谷ノ前/大崎東新井/鶴巻/玄蕃新田本田/間宮宮後/えんぎ山

東裏西/椚谷/南方/南方西台/南方上台:                         計 45遺跡

  ●南区   :白幡本宿/細野北/大谷口向原南/明花上ノ台/明花南/広ヶ谷戸稲荷越/明花向:計 7遺跡

  ●川口市 :木曽呂北/差間篠谷ツ/野伝場/神戸東/叺原/戸塚三仏寺/西立野道上/赤山源長寺前/

赤山陣屋跡/安行猿貝北:                                     計 10遺跡

◎「撚糸文系土器群」以前の遺跡は、草創期前半の上尾市十二番耕地/えんぎ山/叺原/赤山陣屋跡の

4遺跡と、「撚糸文系土器群」直前の寿能遺跡の僅か5遺跡に過ぎない。

これに対して「撚糸文系土器群」の108遺跡は、集団による遊動活動や定住生活が活発化してきた様相と

見て取れるのであり、それはまた馬場小室山遺跡における最初の土器文化でもあったのである。

◎この要因としてもっとも重要な考古現象は、東京湾西岸や古鬼怒湾における縄文時代最古の貝塚の形成

であり、温暖化の進行による環境好転により遺跡群としての「見沼文化」の形成に至ったものと思われる。

 

2.モースの『大森貝塚』に学ぶ(10):戦後の日本先史考古学を科学的精神に則り再検証する!

【視点】日本先史考古学の変革を成しえた科学的精神とは? 反省点遺跡の調査は科学的精神に支えられているか?

前回までの視点

@動物分類学から大森貝塚の土器へ接近すると?   A貝塚のロケーションから何が言えるか?

Bモースの多様な分析は何を目的としたものか?

CF近藤・佐原の名訳に隠れた自然科学的文章本来の妙味は?(1)(2)(用語が違えば意味も違う!)

−日本語訳としての「貝塚」とは本来何を指したものなのか?−「さわらび通信」に講演録を掲載

DEモースが導入した先史学の方法(1)(2)

G大森発見の遺物と大森未発見の遺物          H近藤義郎・佐原真の「解説」は正確か?

今回の視点

          I骨角器研究事始の意義

 

3.馬場小室山遺跡の研究(1):第1次調査の再検証から

報告書】青木義脩編(196912)『馬場遺跡発掘調査概報』、pp.20、浦和市教育委員会

再検証のポイントモースは出土遺物の研究で変革をもたらしたが、今日的課題は遺跡の形成過程を検証することにある。

@馬場小室山遺跡の発見

     A遺跡の立地と周辺の遺跡

     B発掘日誌によるトレンチ調査の地点別層位別追体験

     C記録された遺構と遺物

    ★1960年代前半は早慶明三大学による晩期論争の展開とともに山内清男による「縄紋式土器・総論」、更に

      は下総考古学会による「中峠式」研究の構築などの学問背景があり、その影響を強く受けて報告された。

                                          以 上

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