2005年11月17日受信メール
2005−11−吉日 馬場小室山遺跡の重要性に関心のある各位 「馬場小室山遺跡研究会」事務局 「馬場小室山遺跡研究会」第18回ワークショップ開催の件 早いもので10/1・2の「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」から 2ヶ月になろうとしています。 既に賛助会員である実行委員の方々には後援を受けた義務として 報告をご参考までに送付させて頂きましたが、その中で第2回めの フォーラムを翌年3月5日(日)に予定している旨のアナウンスも させて頂きました。 第2回めは馬場小室山遺跡の2004年度の発掘調査成果の報告等 とともに、谷筋が異なる同時期の集落として国史跡の真福寺貝塚を 採り上げて、馬場小室山遺跡との比較考古学も進めていく予定です。 そこで第2回めの準備を下記の通りスタートしますので、奮って ご参加頂きたく。 尚、配布資料の都合がありますので、参加連絡を11/24(木) までに「さわらび通信」か鈴木正博宛お願いします。 ―記― 1.開催の案内: 1−1.集合日時:2005年11月27日(日) 13:00 1−2.集合場所:三室公民館 1F 講座室 phone:048-873-2594 下車、北宿通りに向かって西へ徒歩10分(文殊寺の隣です!)。 1−3.パブリック・アーケオロジー活動内容: (1)「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」記録集企画について ・プレ・フォーラム記録集企画説明:(副委員長)阿部芳郎さん ・馬場小室山遺跡のビデオ企画説明:事務局 (2)「考古学実習入門(13)」−真福寺貝塚・泥炭層遺跡の研究− ・第17回ワークショップにおける踏査報告とこれからの研究への手引き ・大山史前学研究所による研究動向:(副委員長)阿部芳郎さん (3)10/1・2についての意見交換など <必携資料> @プレ・フォーラム予稿集 Aフォーラム資料集 B岩波文庫『大森貝塚』 2.【「馬場小室山遺跡研究会」の3つの柱】 2-1.
遺跡の重要性を示す研究のグランドデザインを明確にすること 馬場小室山遺跡の学術上の重要性を多くの方々に知って頂くため、そして その重要性を持続・普及させるためにより客観化し記録する努力を行うべく、 「馬場小室山遺跡研究会」を立ち上げ、2004年12月26日の第1回ワーク ショップから活動を継続しています。 具体的には、馬場小室山遺跡の成立と展開を、皆さんと考古学し、理解を 深めていきますが、考える際に考古学の基礎として必要なデータを、考古学の 専門性からスクリーニングした上で提示します。 研究会としてのゴール、つまり、どのようなデータで何を考えていくか、を示した 全体系がレジュメとして現在でも体系化の方向で進化しつつあります、筋金と しての「グランドデザイン」で、これが全てを語っています。 一歩ずつ着実に解明の糸口を掴み、体系的に解きほぐしていきます。 2-2. 人類史としての「見沼文化」から馬場小室山遺跡を明確にすること 奥東京湾というと同じ様な自然環境と考えられがちですが、「見沼低 地」は大きな河川によって開析されている荒川低地や中川低地とは 根本的に異なることが、人類史としての展開を比較することにより 鮮明に浮かび上がり、地域研究のあるべき姿を土地活用面から再確認 することが出来ます。 長期にわたる縄文時代集落展開の特徴を分析し、「縦横遺蹟群研究」を 確立するのみならず、特に縄文時代以降の弥生時代と古墳時代では、 どうして縄文時代後晩期のような長期継続型の大遺跡が形成されない のか、特に前期古墳の形成を支える新たな集落が何故進出しないのか、 自然環境の変動と適用に加えて、時代を画する社会変動との関係にも 「見沼文化」として特性があることを明らかにします また、縄文時代中期の集落論はジャスト・モーメントを求める輪切り の集落論に特徴があり、馬場小室山遺跡における適用を試み、課題を 明らかにします。一方で輪切りの集落論では接近不能な、縄文時代 後晩期遺跡群の地域社会研究は、低地遺跡を含めた「場」の機能分散を 射程にいれた遺跡間関係の統合のみならず、海退後の内水面交通網を 背景とした遠隔地との緊密なネットワーク関係解明が鍵となっています。 特に所謂「環状盛土遺構」と称されている集落にも伴存施設の構築に 地域社会の特性が明確に反映されており、「見沼文化」とすべき特性も 明らかにすることができます。 尚、 我が たどり、人類史として縄文時代から弥生時代(勿論、古墳時代前期も射程 範囲)を研究の中核に据えて、今後の研究活動を展開するための指針として も「見沼文化」研究を策定した次第です。 2-3.
考古学が如何にして文化遺産をマネジメントすべきかを明確にすること 「馬場小室山遺跡研究会」は日本におけるパブリック・アーケオロジーの 発展形態で、市民主導型の展開を特徴としています。 以前から街づくりに対しては考古学の社会参加が課題であったために、 日本人類学会のシンポジウムなどでは「社会考古学」と呼んで新しい 考古学を提唱してきました。が、最近、パブリック・アーケオロジーの考え 方が紹介されはじめましたので、更に発展することを祈り、その概念を使用する ことにしました。名称云々はさておき、行動する趣旨は、 「市民の、市民による、市民のための考古学」を構築することです。 尚、本活動につきましては、2004年10月7日に に対し、「学術ボランティア」による支援として立ち上げるのでご協力頂きたい旨、文書と共 にご説明済みです。2005年度からは体制が新たになりましたので、市民の信頼並びに 地域社会に貢献する文化財保護行政を展望しつつ、本研究会の活動も当初の予定通り にパートナーシップを発揮し、「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」実行委員会活動 の一環として位置付けることができました。 以 上 |
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