2005−10−22(土) 於:真福寺貝塚・泥炭層遺跡

参加各位                          「馬場小室山遺跡研究会」事務局(当日代行:「さわらび通信」

馬場小室山遺跡研究会」第17回ワークショップ

(馬場小室山遺跡における「環堤土塚」の成立と展開を理解するために)

 

1.はじめに−人類史としての「見沼文化」(8):【奥東京湾における泥炭層形成の特徴】−

 

【奥東京湾の地形と貝塚形成の時期的特徴】

・古入間湾(現荒川流域):上福岡市や富士見市などに代表される縄文時代早・前期ヤマトシジミ貝塚群に特徴。

武蔵野台地対岸側の大宮台地における早・前期ヤマトシジミ貝塚群も顕著。

古見沼湾(現芝川流域):湾奥部の早期鹹水系貝塚とヤマトシジミ前期貝塚群に特徴。河口部陸水の影響無し。

馬場小室山遺跡の立地です! 下流域は古綾瀬湾との境が不明瞭!

古綾瀬湾(現綾瀬川流域):湾奥部周辺早・前期鹹・汽水貝塚群に加え、より下流域の後晩期貝塚群に特徴。

真福寺貝塚や石神貝塚等「安行式」ヤマトシジミ貝塚の立地です!

・古利根湾(古利根川流域):湾奥周辺早・前期貝塚群に加え、関宿町〜松戸市の後晩期大貝塚群に特徴。

←広大な海に面する貝塚が多く、谷奥では三輪野山貝塚や貝の花貝塚の立地です!

 

【泥炭層遺蹟の特徴と真福寺貝塚研究の意義】<「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」資料の「小室山−13」頁参照

 

泥炭層遺跡は環境変化により湿地と化し、例えばアシやヨシなどの草本質による泥炭が層になって形成された

遺跡であり、勿論、その当時は湿地の下や水中ではありません。陸地化して人類が活動していた場所です。

従って、泥炭層が形成された年代は、土器など出土遺物の年代よりも必ず後代となりますので注意して下さい。

★「小室山−13」頁で「見沼文化」の特徴は大道東遺跡に明らかのように、縄文時代中期後葉に遡って低湿地の

利用が確認されることである。これは「見沼文化」の環境に依存しており、他の河口部タイプの奥東京湾のように

陸水による影響が無いために沼沢化が逸早く進んだ結果と考えられます。

真福寺貝塚・泥炭層遺跡は、「小室山−13」頁の綾瀬川流域「★3 膝子遺跡」の対岸に所在します。

真福寺貝塚は北西部に谷頭を持ち、その標高9.5mから10m前後の地点に泥炭層を形成しています。

その時期は「安行3c式」を中心とした晩期中葉であり、松戸市貝の花貝塚や市川市堀之内貝塚B地点

道免き谷津遺跡、あるいは取手市上高井神明貝塚と同じ様に「低地化」が顕著な典型例です。

●この「低地化」に対して馬場小室山遺跡では逆に高くなる「土塚」が形成されるなど、晩期中葉には多様な集落

景観が顕現するようになりますが、「土塚」は関東地方における後期以降の集落構成の伝統と考えられます。

◎この点で真福寺貝塚・泥炭層遺跡は研究上重要な役割を果たしているのです。それは貝塚を形成している

台地上地点と低地の泥炭層地点との関係にあります。貝塚は石神貝塚の発掘経験からは「安行3a式」までは

継続しそうです。勿論、標高12m前後の台地上にも「安行3c式」の文化層が確認されますので、この時期に

何故、低地泥炭層地点と台地上地点というように、それ以前とは異なる分かれ方が顕著になったか、が重要な

問題となります。谷央部の高井東遺跡ではこうした知見は得られず、雅楽谷遺跡のような谷頭周辺に注目です。

●ここで問題としたいのが、寺野東遺跡の晩期中葉の在り方です。既に何度か解説してきましたが、寺野東遺跡

では晩期中葉になると関東の「安行3式」から「南奥大洞C1,2式」へと、「土器型式」の系統に断絶が起こります。

と同時に集落は「窪地」へと移行し、広義の「低地化」が見られるようになります。このような「南奥大洞C1,2式」に

おける土地利用の変化が関東地方の「土器型式」に影響を与えた結果として、「窪地包含層」や「谷部包含層

の形成に至ったと考える視点を、これまで所謂「環状盛土遺構」に加えて遺跡論として提供してきました。

さて、真相は如何に。

 

2.馬場小室山遺跡を中核としたパブリック・アーケオロジー:「考古学実習入門」(13)

 

【真福寺貝塚・泥炭層遺跡を歩くパブリック・アーケオロジー】<長野陽次様が当日資料の準備を担当されます>

 

★プレ・フォーラムの口頭発表ではじめて触れましたが、真福寺貝塚・泥炭層遺跡は形状的には曲輪ノ内貝塚と

類似した形態の後晩期貝塚集落遺跡と考えられます。つまり、広義の「遺丘集落」と理解する必要があります。

耕地として、あるいは宅地としての改変が著しいので、現状からどの程度往時の形状を読み取れるか、が腕の

みせどころとなりますが、「環状土塚」リダクションであるのか、「谷部包含層」・「窪地包含層」移行型の「第三の

晩期中葉集落形態」となるのか、歩きながら考え、そして考えながら歩き、いろいろと悩んで下さい。

以 上

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送