2005−9−3(土) 於:三室公民館講座室

参加各位                                            「馬場小室山遺跡研究会」事務局

馬場小室山遺跡研究会」第13回ワークショップ

(馬場小室山遺跡における「環堤土塚」の成立と展開を理解するために)

1.はじめに−人類史としての「見沼文化」(4):貝塚研究から観た水域環境−

「見沼文化」を形成した水域環境は?

・大宮市寿能泥炭層遺跡や浦和市大道東遺跡に代表されるように、縄文時代中期以降は泥炭層遺跡と

して形成される水域環境であった。それが「見沼文化」の本質を物語っている。

・しかし、縄文時代早期末から前期後葉にかけては奥東京湾の一環として位置付けられていることでも

あり、貝塚研究から観た水域環境についてその性格を明確にしておく必要がある。

貝種から水域環境を復元

@内湾水域:沿岸流と陸水が流入←縄文時代早前期の「見沼文化」

A外湾(外海)水域:岩礁性貝類(鉈切洞穴など)や砂底性貝類(余山貝塚など)

B湾口水域:内房の貝塚など

Cラグーン(潟湖):内湾や外湾において接点に位置する環境

←縄文時代後期前葉の「暖のもどり」を東川口駅に近接した南方遺跡で確認

D河川・湖沼:内水面・淡水域(オオタニシ・イシガイ・カラスガイ)

←基本的には縄文時代中期以降の「見沼文化」は沼沢環境で奥東京湾のラグーン地帯と接続

 

2.馬場小室山遺跡を中核としたパブリック・アーケオロジー:「考古学実習入門」(9)

◎馬場小室山遺跡の「残存埋蔵文化財」が見沼田圃に投棄された「第2遺跡」の土器群の資料化を行います。

■「注記」(馬場小室山遺跡の注記ルールは「小室山YYMMDD(例えば、2004年10月23日の保護・救済

資料は「小室山041023」)」、馬場小室山第2遺跡のルールは保護・救済日が無意味の為、「小室山第2

あるいは「オムロ山第2」)が完了。収納しているビニール袋単位に「基礎的分類」(口縁部−胴部−底部)と

その結果の「記録」(ビニール袋単位に1枚集計結果を記入)もEXCEL集計済み(第9回資料参照)!

ビニール袋単位の分類状況はエビデンスとして写真撮影終了後、大きく馬場小室山遺跡と「第2遺跡」に区別

し、馬場小室山遺跡及び「第2遺跡」について「土器の分類」を行い、「拓本採り」は順調に進んでいます。

★「拓本採り」は今回からは未調査部分から工事造成中に救済・保護した土器も一部対象にできそうです。

また、「拓本採り」の済んだ土器の断面や底部の「実測」も行う予定です。

尚、「加曽利B式」や「安行式」の勉強を行うには岩波文庫『大森貝塚』が便利なので、必携です。

◎最終的には報告書を作成する基本的な工程を経験し、その一部は10/2の市民向け配布冊子としたい。

また、遺物は当日展示し、馬場小室山遺跡の「土器事典」として利用の便も図る予定。

 

3.モースの『大森貝塚』に学ぶ(9):近藤義郎・佐原真の「解説」は正確か?

★モースの文章の理解の仕方だけではなく、今回はワイマンの研究について触れた部分でも気になる記述と

遭遇してしまいました。やはり戦後の研究は全て一から抜本的的に見直すことが必要です!

近藤義郎・佐原真の「解説」】:岩波文庫『大森貝塚』191頁

ワイマンが1875年にまとめたフロリダの貝塚の報告書Fresh-Water Shell Mounds of the St. John’s

River,1875が『大森貝塚』の手本になったことは、古くは鳥居龍蔵、近くは渡辺直経氏の指摘するところ

である。」

・この文章は、ワイマンが1875年には生きていて報告書つくりを行っているような印象を与えてしまうのでは

 ないだろうか?

原典の注釈FRESH-WATER SHELL MOUNDS OF THE ST. JOHN’S RIVER, FLORIDA.1875の巻頭言

PROFESSOR JEFFRIES WYMAN DIED SUDDENLY, OF HEMORRHAGE FROM THE LUNGS, AT

BETHLEHEM, NEW HAMPSHIRE, 4th SEPTEMBER, 1874.”

・ワイマンは1874年6月には原稿を纏めて出版準備を終え、1874年9月4日に急死したのである。

巻頭言だけでなく、目次の前にも弔辞が大きく掲載されているので、近藤義郎・佐原真の解説は書名も

含めて些か正確さを欠いている。

以 上

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送