2005−8−27(土) 於:プラザイースト
参加各位 「馬場小室山遺跡研究会」事務局
「馬場小室山遺跡研究会」第12回ワークショップ
(馬場小室山遺跡における「環堤土塚」の成立と展開を理解するために)
1.はじめに−人類史としての「見沼文化」(3)−
★縄文時代の芝川上流における「見沼文化」を形成した環境
<「寿能泥炭層遺跡の自然環境」:堀口万吉(1984)『寿能泥炭層遺跡発掘調査報告書―人工遺物・総括編―』>
★草創期は意外と現在低湿地に当たる場所からの検出が目立つ!
@草創期:「黒色粘土層形成以後、凹地が干し上ってから、その表面が生活面として利用された可能性」
★海進の時期と海水面の関係についての気になる部分か?
A「前期の黒浜期(海水面の停滞)」:「黒浜砂層は汀線近くの波食台上に堆積したとみることができる」
B「前期の諸磯期(最高海面期)」:「黒浜期以降にさらに海水面が上昇して、灰色粘土層を堆積している」
★浅い谷の場合であろうか?
C「前期末(海退期)」:「水域の陸化によって低湿地化が拡大していった」
D「中期(低湿地の形成)」:「中期後半には浅い水域に変わっていった」
★後期といっても年代的に些か広いです!
E「後期(低湿地の発達)」:「低地全体に湿地化が進み、泥炭層が堆積していった」
◎一番重要な所見は以下のFとGです。キーポイントになりますので覚えておいて下さい。
F「晩期以降湿地化が減少し、乾陸化した時期があり、無堆積の状態が続いた」
G「古墳時代前期(低湿地の発展)」:「再び広域的な低湿地化が進み、泥炭層が発達した」
■8/24(水)に市川市道免き谷津遺跡を見学してきましたが、調査員の説明を聴く限り、FとGは
共通していることを確認できました。今後、弥生式を考察する際の鍵となります。
Gについては前回レジュメで山内清男の見解を紹介しましたが、そのものズバリです。
2.馬場小室山遺跡を中核としたパブリック・アーケオロジー:「考古学実習入門」(8)
◎馬場小室山遺跡の「残存埋蔵文化財」が見沼たんぼに投棄された「第2遺跡」の土器群を資料化します。
■「注記」(馬場小室山遺跡の注記ルールは「小室山YYMMDD(例えば、2004年10月23日の保護・救済
資料は「小室山041023」)」、馬場小室山第2遺跡のルールは保護・救済日が無意味の為、「小室山第2」
あるいは「オムロ山第2」)が完了。収納しているビニール袋単位に基礎的な分類(口縁部−胴部−底部)と
その結果の記録(ビニール袋単位に1枚集計結果を記入)もEXCEL集計済み(第9回資料参照)!
ビニール袋単位の分類状況はエビデンスとして写真撮影終了後、大きく馬場小室山遺跡と「第2遺跡」に区別
し、馬場小室山遺跡及び「第2遺跡」について「土器の分類」を行いました。
★拓本採りは前回までに中期中葉から後期中葉まで進み、今回は「安行式」について行う予定です。
尚、「加曽利B式」や「安行式」の勉強を行うには岩波文庫『大森貝塚』が便利です。
◎最終的には報告書を作成する基本的な工程を経験し、その一部は10/2の市民向け配布冊子としたい。
また、遺物は当日展示し、馬場小室山遺跡の土器事典として利用の便も図る予定。
3.所謂「環状盛土遺構」研究の到達点と馬場小室山遺跡(3)
【方針】縄文時代研究の到達点から所謂「環状盛土遺構」研究の抜本的な見直しを行います。
【見直しのポイント】「所謂「環状盛土遺構」研究のグランドデザインV2.0」(別紙)参照!
以 上
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