2005−8−20(土) 於:三室公民館
参加各位 「馬場小室山遺跡研究会」事務局
「馬場小室山遺跡研究会」第11回ワークショップ
(馬場小室山遺跡における「環堤土塚」の成立と展開を理解するために)
1.はじめに−人類史としての「見沼文化」(2)−
★弥生時代終末から古墳時代初頭の「見沼文化」:海進による洪水と弥生式後期集落の移動・廃絶
<「世紀後三、四世紀の海進」:山内清男(1968)「縄紋土器の改定年代と海進の時期について」『古代』第48号>
「海進は低地地域を浸すが、又之は河川の氾濫を呼ぶことになり、大洪水を起こす。時に西欧各地の第一
千年紀に屡々洪水に見舞われたという。この時期は丁度海岸に近い弥生式遺跡、例えば登呂(後藤博士
等、昭24、昭29)、瓜郷(久永氏等、昭38)等が全滅した時期であることは興味深い。殊に塩分の多くなるこ
とは米の成育に致命的である。この治水工事が引いては倭の五王の出現に通ずることを考えると興味は倍
加するであろう。この時代の海進はダンケルクIIとも、オランダではローマ以後の海進ともいわれている。
ピアソンは多くの歴史的事実からこの時代の海面が高かったことを示している。」
2.馬場小室山遺跡を中核としたパブリック・アーケオロジー:「考古学実習入門」(7)
◎馬場小室山遺跡の「残存埋蔵文化財」が見沼たんぼに投棄された「第2遺跡」の土器群を資料化します。
■「注記」(馬場小室山遺跡の注記ルールは「小室山YYMMDD(例えば、2004年10月23日の保護・救済
資料は「小室山041023」)」、馬場小室山第2遺跡のルールは保護・救済日が無意味の為、「小室山第2」
あるいは「オムロ山第2」)が完了。収納しているビニール袋単位に基礎的な分類(口縁部−胴部−底部)と
その結果の記録(ビニール袋単位に1枚集計結果を記入)もEXCEL集計済み(第9回資料参照)!
ビニール袋単位の分類状況はエビデンスとして写真撮影終了後、大きく馬場小室山遺跡と「第2遺跡」に区別
し、馬場小室山遺跡及び「第2遺跡」について「土器の分類」を行いました。
★今回は「第2遺跡」の拓本採りを行います。一部実測についても開始する予定です。
◎最終的には報告書を作成する基本的な工程を経験し、その一部は10/2の市民向け配布冊子としたい。
また、遺物は当日展示し、馬場小室山遺跡の土器事典として利用の便も図る予定。
3.所謂「環状盛土遺構」研究の到達点と馬場小室山遺跡(2)
【方針】縄文時代研究の到達点から所謂「環状盛土遺構」研究の抜本的な見直しを行います。
【馬場小室山遺跡の特徴】(全体概要担当:筑波大学大学院 斉藤瑞穂)
■中期集落(詳細担当:筑波大学大学院 工藤幸尚)
→▲中期終末以降後期中葉集落
→●「安行1,2,3a,3b式」集落と「安行3c,3d式」包含層
【「見沼文化」という新たなる視点から人類史的現象を探る!】
@縄文時代晩期の土器に認められる「見沼文化」の現象とは?
→晩期中葉における「副文様帯」の「精製土器様式」化と「精製土器様式」の大型化
→晩期前葉低湿地性遺跡の生業で顕著な「赤山型容量」の晩期中葉「精製土器様式」における展開
A縄文時代晩期の集落における「見沼文化」の現象とは?
→晩期中葉における「環堤土塚」構成=「1号土塚」〜「5号土塚」+「土塚付属大土壙」+「環内窪地」
→「1号土塚」付属「第51号土壙」=「安行3a,b,c,d式」の「多世代土器群多埋設深掘大土壙」
以 上
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