2005−5−4(水) 於:三室公民館

参加各位                                             馬場小室山遺跡研究会事務局

    馬場小室山遺跡研究会・第5回ワークショップ

     (馬場小室山遺跡における所謂「環状盛土遺構」の成立と展開を理解するために)

1.はじめに−馬場小室山遺跡自然観察会− ★屋敷林としての里山の自然や地形観察などの野外研究
2.「残存埋蔵文化財」が投棄された第2遺跡から保護・救済した土器群の資料化に当たって

★「考古学実習入門」の事前説明など

3.所謂「環状盛土遺構」研究の到達点 【視点】縄文時代研究の到達点から抜本的な見直しを行います。

馬場小室山遺跡研究会では、体系的な接近法による、新たな研究プロセスを提供します。

@貝塚(含低地性遺跡)研究の視点からは如何なる成果が見えてくるか?     ★所謂「環状盛土遺構」出現と終焉の外部要因を特定します!

A「環状盛土遺構」と縄文時代集落研究の統合から新しい視点が構築できるか? ★出現の内部要因と発展形態に遺構の構造から接近します!

所謂「環状盛土遺構」研究のグランドデザインV.1.3

 I.外部要因の特定 : 環境変動(寒冷化)と文化変動による「台地―低地拠点分散網状型集落」の展開

    I−1.環境変動(寒冷化)がもたらした生産活動の広域化と広域内水面交通網(ネットワーク)の発達

【1】寒冷化(海退)による低地の拡大と土地利用の多様化、及び中期から後晩期への移行形態

【2】温暖化時代の「遺跡群」関係(隣接・間接連鎖)を超える広域内水面交通網の発達に注目

<環堤貝塚←→環堤土塚←→石塚への構造連鎖>(奥東京湾/古鬼怒湾の中核的位置付け)

    I−2.寒冷化に伴う文化変容の顕在化と新たな土地利用形態の定着

【3】中期終末から後期初頭に見られる集落維持の凋落化と西/北日本系の土器や葬式の顕在化

【4】在地系住居集団と非伝統系住居集団の同居性(「よそもの集団の同居性」)

【5】内水面漁労文化の発達(マダイ→クロダイ・スズキ→ウナギ・ハゼ→コイ・フナ・ナマズ

  ◎古鬼怒湾口部マダイ漁共同体と汽・淡水域ウナギ生簀管理共同体(「マダイ・ウナギ論」)

【6】「拠点完結型集落」の集中「貯蔵穴群」から低地性遺跡の定着による分散化

      【7】「安行3式」集落の凋落をもたらした「南奥大洞C2式」前後の集落構築(寺野東遺跡が代表例)

 II.内部要因の深耕 : 住居構造の変質と集落景観の維持

    II−1.凹地状地形を利用した集落景観や斜面活用の継承

【8】中期貝塚における凹地状地形と廃屋墓の風習の後晩期集落への継承・移行形態

【9】大画期の累重による「環堤土塚」の構成(可視的顕現化の意義:回帰性・分節化と縮小化)

         ◎<1>西/北日本系中期末後期初頭から、<2>高井東式」を新たな画期として晩期前葉

<3>晩期中葉に最終的に顕在化する「環堤土塚」(1つの「土塚」に最大同時2軒程度)の画期

10】斜面捨て場(包含層)(寺野東遺跡が代表例)や埋没谷と「斜面貝塚」との関係

    II−2.遺構構造の変質(山から平地へ、そして「拡大窪地」生成へ)

11】自然堆積とは異なる「特殊な土層」と包含層:山棲み住居構造の平地への展開

中期末葉(加曽利E3式)から展開する「敷石遺構」に存在する「敷土遺構」の定着

◎「石塚文化」(柄鏡形敷石住居や配石遺構の文化)の「敷土遺構」から「配土遺構」へ

12】「焼獣骨角小片群」の風習と顕在化:特定地域の風習が順次晩期「安行3式」に広域化

            ◎後期中葉(加曽利B1式)の「敷石遺構」から順次定着する風習

13】馬場小室山遺跡における斜面掘削の意義

14】「拡大窪地」(馬場小室山遺跡)や「窪地遺構群」(寺野東遺跡が代表例)など(貝の花貝塚等)の形成

15】多世代土器群多埋設深掘大土」併設の意義:後期「深掘土」とは固体数が違う!

 

4.モースの『大森貝塚』に学ぶ(4) : 日本先史考古学の発達を科学的精神に則り確認します!

   【視点】日本先史考古学の変革を成しえた科学的精神とは? 反省点遺跡の調査は科学的精神に支えられているか?

●前回の視点@動物分類学から大森貝塚の土器へ接近すると?A貝塚のロケーションから何が言えるか?

           Bモースの多様な分析は何を目的としたものか?

      ◎今回の視点◎ C近藤・佐原の名訳に隠れた自然科学的文章本来の妙味(用語が違えば意味も違う!)

            以 上

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