山の歴史的景観 (千葉市緑区平山)

 


向菱名(菱名日向守屋敷跡)

 

 

■ 平山大橋からの景観



 前方の台地手前が字「菱名」。台地上の先が字「菱名台」となる(菱名貝塚、菱名古墳群
菱名台古墳群が所在)。「向菱名(ムケエビシナ)は、前方の台地手前の、現在コンビニエンスストアがある付近である。道路手前の部分が支川都川(仁戸名川)にかかる平山大橋である。写真外、右に立堀城のある台地があり、南の谷地から流れてくる支川都川本流と北の平山谷地から流れてくる支川都川支流がこの平山大橋のところで合流し、写真の右方向に下っていくという位置関係である。字名でいうと、写真左前方が字「大橋戸」で、写真外左手前が「木戸脇」。山下七郎兵衛吉継1705には、大橋戸には橋がかかっており、城盛りなりし比は引橋なり」とあるが、この引橋の場所は、平山大橋の付近である可能性もある。

 

●木戸脇
 平山城の盛時には「遠曲輪」であり、木戸が立っていたという。

●向菱名

 山本七郎兵衛1705によれば、平山城主の家臣、菱名日向守の屋敷跡である。具体的にどの場所か、どの文献にも記載がなく不明であったが、今回、地元住民に聞き取りをし、ほぼ特定することができた。また「日向守」の名を出さず「向菱名とはどういうところか」と地元住民に尋ねたところでは、「菱名日向守の領地と聞いている」と返答であった。菱名日向守という固有名詞がたしかに現在の地元に伝わっていた。なお江戸時代の絵地図(『千葉市図誌』)に立堀城とほぼ同じ大きさで同じような方形の記載をした個所が付近にある。地元住民から教えてもらった地点とズレるが、菱名日向守の屋敷跡を示したものかもしれない。
 なお現在コンビニエンスストアのある個所は1,2年前に造成されたところだが、造成中、土地の断面に明らかに土の色のちがう幅5mほどのおちこみが見られた。

 

 

平山の歴史的景観

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平山の縄文時代を歩く 2003年2月23日(日) 遺跡めぐり
主要参考文献【千葉市緑区平山】
 

 
(本文での出典は原則として著者名+発表年によります。より詳しい出典の情報はこちらをご参照ください。)
1/25,000地形図:

蘇我(北西)  蘇我(北東)
立堀城      平山城、長谷部貝塚

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◆立堀城の位置:北緯35度34分25秒,東経140度10分41秒 鎌取インターチェンジの北東約200m。

◆平山城の位置:北緯35度34分17秒,東経140度11分32秒 袖ヶ浦カントリークラブの北対岸。

 

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