幕張本郷の文化財

 

鉄砲塚古墳群

■ 鉄砲塚古墳群跡


 
鉄砲塚跡

 幕張本郷6丁目22番、字「西鉄砲塚」。円墳3基。写真中央、車が二台とまっている地点にそのうち1基があった。生まれたときから住んでいるという年配のご婦人からやっと聞くことができた。高さは一階の屋根ほど。直径は5mはあったとのこと。周辺は畑だったという。区画整理事業=開発(おそらく1985年終了)の際に壊された、とのこと。ほかにこの地点から200〜300m離れた地点に、2基円墳があった(位置は宇田川浩一1999の地図に掲載されている)。

なお千葉市遺跡地図および千葉県文化財センター1999の遺跡地図は、この地点に該当すると思われる箇所に円墳1基分のマークをつけて、「東鉄砲塚古墳群」とし、一方、幕張7丁目(東に位置する)の古墳(1基)を「鉄砲塚古墳」としている。しかし『千葉市史 史料編』、宇田川1999、『幕張郷土誌』、また聞取りによれば、これは間違っていると思われる。遺構の記載内容についても疑問がある。

(写真の鉄砲塚1号墳の位置)
リブレ京成幕張本郷店(幕張本郷6丁目22番2)の裏通り、北西30mの共同住宅駐車場付近。→マップ

 

■ 東鉄砲塚古墳 

 

東鉄砲塚・前方部側(北)から

 

 

幕張本郷7丁目25番地9号、字「東鉄砲塚」。前方後円墳である。

 手前が前方部。盛り上がっている黒い影が、向こう側の後円部の墳丘である。前方部は写真左側の崩壊が大きいようである。

 数十年以上前から千葉市の所有となっているとのことだが、何の標識もないのはどうしたことだろうか。すぐ近くには「幕張台公園」という公園が造られ、立派な土地区画整理事業の記念碑が建てられているが、「東鉄砲塚」については一言の説明もない。「東鉄砲塚」はこの付近一帯の小字名でもあるのに、である。周辺はマンションの多い住宅地である。歩いている付近住民、数名に「このあたりに塚はないか」と尋ねたが、誰もが「知らない」という答えだった。伝えるべき者が伝えなければ、知らず、大切にもできないであろう。

(行きかた)
幕張本郷中学前交差点を幕張台公園方向へ100m進行。3つめの角(幕張台公園に至る手前)右側に、「有限会社幕張産業」の看板あり。そこの路地を右に入り、数十m進行右。→マップ

 東鉄砲塚・東側高さ約5mより

 左が後円部、右が前方部と思われる。後円部のほうが高くなっている。肉眼では前方後円墳であることはじゅうぶん感じられる。不正確きわまりない目測でだが、参考のために記すと、全長13m。後円部直径7m。前方部6m。幅8m。高さ3m以上。周縁部がはっきりしないので実際はもっと大きいと思われる。

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1/25,000地形図:

習志野(南西)

国土地理院の試験運用ページ。地形図閲覧システムの利用規定に注意。閲覧以外の利用はできません。

鉄砲塚古墳1号墳跡 ・・・・北緯35度40分32秒,東経140度2分42秒
鉄砲塚古墳2号墳跡 ・・・・北緯35度40分27秒,東経140度2分41秒
鉄砲塚古墳3号墳跡 ・・・・北緯35度40分33秒,東経140度2分36秒
東鉄砲塚(前方後円墳)・・北緯35度40分27秒,東経140度2分56秒

(この位置は目安と考えてください。)

 

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