パブリック・アーケオロジーからみた馬場小室山遺跡の価値

―「環状盛土遺構」の正体は集落跡と判明!―

 

馬場小室山遺跡は、国指定史跡である栃木県小山市寺野東遺跡の「環状盛土遺構」が祭祀場の「縄文スタジアム」として脚光を浴びた頃には、既に類似の窪地と土手状の遺跡として注目されてきました。

しかし、馬場小室山遺跡の、中央の窪地(直径約50m)の周囲に5基の大きな「土まんじゅう」(直径約50m前後)が配置される形態は、他に例を見ない不思議な存在でした。

寺野東遺跡は「ドーナツ形の土手状」ですが、馬場小室山遺跡のような5基の「土まんじゅう」が環状に配置される形態は、これまでの調査では判明しませんでした。

このような成果は発掘調査後に実施された「学術ボランティア」による継続的な遺跡の保護・保存・再生・活用研究(パブリック・アーケオロジー)活動によってはじめて明らかにされたのです。

一方、千葉県佐倉市井野長割遺跡が最近国指定史跡となり、「環状盛土遺構」の史跡仲間が増えてきましたが、この井野長割遺跡は小振りの「土まんじゅう」が幾つもある形態で、馬場小室山遺跡と関係がありそうな特徴をもっています。

井野長割遺跡は史跡に向けて発掘調査が何度か行われましたが、残念ながらその性格は未だに明確になっていないようです。

このように、これまで祭祀スタジアムなどと憶測が飛んでいた「環状盛土遺構」でしたが、2004年夏に実施された第32次発掘調査によって、多世代による長期に継続した集落の典型的な姿であることが明らかになりました。

       そこで今回の市民フォーラムでは、馬場小室山遺跡の「環状盛土遺構」が集落跡であることを検証した第32次発掘調査こそが、近年の論争に決着を与えるような考古学上のきわめて重要な成果であり、さいたま市教育委員会のご理解を得て、さいたま市遺跡調査会主任調査員の柳田博之さんにスライドを豊富に使ってその成果を臨場感をもってビジュアルに発表して頂きます。

 

   新生さいたま市の考古学は、馬場小室山遺跡の保存・活用研究が契機となり、市民が主導するパブリック・アーケオロジーとして2005年10月2日に生まれました。そして今まさに持続可能な未来に向けた「学術ボランティア」活動が始動し、人類史としての「見沼文化」やそのガイドブックの「みぬまっぷ」、あるいは小室山の再生など、後世への継承を進めています。「ムロさま」はご先祖様の鎮魂イメージかもしれません。

 

 

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