ただ今発掘中 ♪♪
  調査員のみなさん、ご苦労さまです!  
 

 

猪鼻城跡ー発掘現場訪問

猪鼻城主郭南から眺めた発掘現場遠景
――前方千葉大医学部校舎周辺の台地全体が外郭。発掘現場(公園予定地)は、中央赤茶色の建物の右付近。
左手前、赤い屋根は東禅寺(嘉暦2年(1327年)、千葉貞胤建立、本尊薬師如来)。前方の谷は「東禅寺作」。

 
 猪鼻城(いのはなじょう、通称千葉城)の発掘がおこなわれてました(2001年9月3日-11月)。整理報告書作成の最中のようですが、その後の2002年7月の千葉大学医学部構内の前方後円墳発見とあわせて、どうやら城域もふくめ従来の猪鼻城理解を再検討する必要が出てきたようです(末尾の補足参照)。以下は調査終了時の時点での記述であることにご留意ください。(なお千葉歴史年表 参照)

 

調査区域A・B(東部分)

 
発掘現場(写真右前方)に隣接する小道 空堀跡?
 千葉大学医学部正門(写真背後)付近から南の谷に降りる道です。前方道の右わきにある電柱の右側が発掘現場です。発掘前は民家の敷地だったところですが、斜面を整形してちょうど腰郭状に東西に長い平坦地が作られています。

 故和田茂右衛門氏は、現在の千葉大医学部北門から構内の建物付近にかけて、戦前、空堀跡があったことを証言しており、台地を中央付近で南北に分断する空堀の存在が推測されてきました。現地説明会で配布された千葉市文化財調査協会作成の資料は、(おそらく地籍図より)推定した堀の位置を掲載しており、千葉大医学部の構内(写真、背後)から調査区域東側に接するこの小道(写真、温室と民家の間をとおる――空堀跡と推定)をへて、調査区域の空堀につながる、という一連の堀の存在を示唆しています。この見方によれば、小道のもととなった堀は、電柱付近で、右に曲がり、発掘現場の堀とつながっていたと推定されます。

 
発掘途中の第一号堀
 電柱(調査範囲東境界)付近から、南西を見ています。 第一号空堀。9月中旬頃の様子。目測で底幅約1m、上部幅約5m、深さ約3.5m。幅からみると、鉄砲の普及以前の堀といえるでしょうか?深さは、この種の堀としては、ひじょうに深いようです。実物をみて、堀とは、人を落とそうとするものであることがよくわかりました(^^;;。

 写真手前下で空堀は切れており、土橋になっているかもしれません。右には犬走り状の平坦部、土塁跡。土塁の上部は削平されていますが、本来あった土塁と空堀の比高差は推定7mです。この段階では、画面からもわかるように、薬研堀(やげんぼり=断面がV字形の堀)です。さらに発掘を進めると・・・・↓

畝掘(うねぼり)だった!
 さらに第1号堀を掘り進むと、堀底内での移動を妨げる直線的な仕切りが現れました。いわゆる畝堀(うねぼり)でした。

 堀は連続して腰曲輪状の地形をまわるのかと思いきや、切れていました。前方B区では調査員が人骨の出た土壙墓(どこうぼ)を計測しているようです。B区の先は西=右に向かって、C区、D区となります。BCD区は中世のある時期には墓域であったようです。

 

東北端の境界、虎口か?
 電柱付近で、北方向(千葉大学医学部正門方向)へと向きををかえました虎口(こぐち)とは城の出入り口のことです。

 調査員の左右に土塁跡。画面外左下に空堀。画面右下から土橋(?)が延びる、という位置関係です。土塁は、調査範囲では完全にはのこっていなかったようですが、「本来は、前方の隣地の高さと同じくらいあった、土塁と堀の比高差7mと推定される」、とのことです。土塁のわき、空堀との間には、犬走り状の平坦面も見えます。なお断面を見るために、土塁跡は真中を掘られています。

 
東端AB区全景
 東南境界よりみています。中央の人物の向こう側が調査区画Aです。調査前は一段高い地形になっていました。調査範囲の東北端の区画になります。発掘調査はこの区画Aからはじめられ、空堀(第一号堀)が発見されました。第一号堀は温室の向うから下りてくる小道付近からこちらに向かってくる格好になります。地面を整える作業が行われている手前の区画Bがこれから発掘しようとするところです。なお調査範囲は写真の左(西=主郭=台地西端方向)に向かって延びており、順にC区、D区となります。調査は、A→B→D→Cと進められています。

 

 

調査区域D(中央)

調査の進むD区
 西側から北東を見ています。写真中、前面で調査している区域がD区です。北側内陸側の部分で第2号堀と第3号堀の調査がなされています。二つの空堀、柱穴のほか、土壙墓がいくつもみつかっています。写真右奥、土砂の山が置かれているところがC区。この後なされるC区でも、土壙墓や火葬墓がみつかっており、CD区、一連の中世の墓域です。樹木と土砂の山の向う側が、A区、B区という位置関係になります。手前、撮影地点のすぐ前がE区で最後に調査がなされています。
掘りあがったD区
 現地説明会での写真です。ちょうどひとつ上の写真の位置より現場に近づいた位置で、北東に向いています。かなり多くの土壙(どこう、穴)が見えます。第2号堀第3号堀は断面が逆台形形になるいわゆる箱薬研(はこやげん)でした。第3号堀は、写真手前左E区へと延びます。第2号堀と第3号堀の間は、土橋でしょうか?A区の第1号堀もそうですが、堀がつながっておらず、短く切れている・・・これは、どう考えるべきか・・・・
大雨の降った後の第2号堀(左)と第3号堀(右)
 D区北側隣接地より、南を向いています。堀は水がたまって2つの池になってしまっていますが、位置関係がよくわかります。むかって左の第2号堀は、短いですが、南北(先から手前)に掘られています。第3号堀は、画面右(西)E区へ少し進み、画面前方の谷(南)に向かうようです(未確認)。土壙(どこう)または土坑(いずれにしろ穴)がいくつか見えます。なおひとつ上の写真の撮影地点は画面右上端です。
五輪塔の火輪―出土状況
 出土地点は、第2号堀のわきです。ふたつ上の写真参照(現地説明会の時点ではすでに取り上げられていました)。
(参考) 五輪塔
大日寺の五輪塔
 供養や墓碑を目的とした石塔の一種です。  「宇宙はの五大よりなる」という五大思想が仏教にはありますが、五輪塔は宇宙を表しています。

 ※大日寺(もと千葉神社隣接地に所在、戦後、轟町に移転)には千葉宗家代々の五輪塔が数基伝わっています。左の写真の五輪塔が誰のものかは不明です。

 

調査区C

調査区Cへ 
 D区との境からC区(東方向)を見ています。写真中、青いシートは、掘掘り出した土砂。C区でも、D区と同じく、土壙墓や火葬墓がみつかっており、CD区、一連の中世の墓域です。シートの向う側が、A区(左奥)、B区(右)という位置関係になります。
中世の墓域 (C区)
 写真中、地面の穴は、土壙(どこう)墓です。

 現地説明会の最中も、発掘作業は進められていました。調査期限に迫られているようです。

 この公園の完成予定は平成17年と聞きます。

五輪塔の一部が出土!
説明会の最中に出土しました。
説明会に駆けつけた参加者 
 現地説明会参加者(写真向かって左端の数名)。3日前の連絡、しかも平日という条件で、駆けつけることのできた幸運な参加者です。

 B区(背後)との境界付近から、C区を西に眺めています。穴は土壙(墓)。写真右前方奥がD区で、第2号堀、第3号堀(右上の樹木手前付近)という位置関係になります。

 

 (参考文献)

 「千葉城 16世紀後半の堀跡―落城後に再建図られた?」『朝日新聞』平成13年10月21日(日)朝刊千葉版。

 「猪鼻城跡現地説明会資料」(平成13年10月19日(金))千葉市文化財調査協会

 「亥鼻の公園予定地 城の空堀が出土 15世紀末〜16世紀前半造営 「千葉氏」後も城存在か」『千葉日報』平成13年10月20日(土)朝刊記事。

井上哲郎「障子堀の分類と編年」『千葉県文化財センター研究紀要 20 中近世城館の構造と特質―重要遺跡確認調査の成果と仮題3―』第2章第1節 2000年9月

 小高春雄『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1 ―旧下総国地域―』千葉県教育委員会、1995年。

 外山信司「再発見ふるさとの城房総の城めぐり千葉市11千葉城2」『千葉日報』1995年6月18日。

 簗瀬裕一「千葉城跡概説―千葉氏居城の基礎的考察」『千葉いまむかし』No.11、1998年3月。

 簗瀬裕一「中世の千葉」『千葉いまむかし』No13、2000年。

 山本勇「千葉城跡」『日本城郭大系第6巻千葉・神奈川』新人物往来社、1980年。

 山本勇「千葉城」千葉市史編纂委員会1993年。『千葉市図誌』上巻。

 

・以上述べられていることの多くは、発掘調査にあたっておられる方々に負っています。できるだけ多くの市民と情報を共有することにより、限られた予算・時間等困難の中で、奮闘される皆さんを応援したいと願う者です。

・本ページは、発掘担当者、そのほか専門家の校閲(また当局の「検閲」)を受けていません。発掘途中の情報でもあります。最終的には、発掘調査担当者による正式な報告をご参照ください。

(重要な補足)

堀状の遺構について、堀としては短く不完全であることから、猪除けの猪垣ではないか、という見解が強まっているようです。

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▼猪鼻城 2(準備中)

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