2000年4月2日
さあ、出発!

(写真提供 yygucciさん)

      

 


 貝塚町貝塚群と貝塚城址

 千葉市若葉区貝塚町(京葉道路貝塚インターチェンジ付近)は、旧石器時代から縄文・古墳・奈良平安時代をへて中世、近世にいたる遺跡の宝庫です。

貝塚町貝塚群(千葉貝塚):とくに大小の貝塚が貝塚台地に密集する様は、世界的にも類例がなく、世界遺産級といわれています。

貝塚城址:貝塚台地は城址でもあります。つくられたのは、10、11世紀ころ(平将門の乱、平忠常の乱のころ)。古い時代の城址としてもたいへん貴重です。 

 遺跡めぐりの様子はyygucciさんのHP「千葉市の貝塚」と総務さんのHP「総務の部屋」で。クリックすると、該当ページに直接つながります。リンクを許可してくださったお二人に感謝します。

 ● 貝塚町周辺地図(マピオン)

 ● 貝塚町遺跡分布図

 ● 貝塚町貝塚群・貝塚城址参考文献

貝塚城址--荒屋敷貝塚の周囲をまわる腰曲輪

 腰曲輪(こしぐるわ)とは、城の防衛のため斜面を削ってつくられた平場のことです。荒屋敷貝塚のまわりは、少なくとも東から南にかけて、ぐるっと腰曲輪がまわっているのがわかります。画像は、姥ヶ作貝塚(殿山遺跡)の西側下から写した、荒屋敷貝塚東縁の腰曲輪です。現在、畑として利用されています。手前は荒屋敷谷地の休耕田。画面中央の白い点は腰曲輪=畑の上にたつ人です。

荒屋敷谷地・殿山貝塚--谷津上遺跡南東端より南方向をみる

 貝塚台地東側の荒屋敷谷地です。右前方にみえる台地が荒屋敷北貝塚(東辺田遺跡)。その対岸、中央やや左、送電線が向かう先の台地(変電所のある台地)が姥ヶ作貝塚(殿山遺跡)です。さらにその向こう、台地の間にわずかに見える白っぽいものが京葉道路です。荒屋敷貝塚は、荒屋敷北貝塚の向こう側で、見えません。谷はさらに画面右(西)方向に進み、草刈場貝塚の東にいたりますが、その場所は、草刈場貝塚の加曽利E期の水場と推定されます。この荒屋敷谷地は、貝塚町貝塚群の形成発展、さらに古墳時代・奈良平安時代の集落の変遷を研究するうえで、たいへん重要な谷地です。

 蛇行してみえるのは、現在行われている下水道工事の現場です。工事により夥しい数の貝殻が掘り出されており、谷地の開口部まで延々と貝層が連なっているのが、確認できます。たしかに以前より、姥ヶ作の台地よりの小道に、貝殻にまじって縄文土器・土師器・須恵器のかけらが落ちていました。自然貝層に混在するかたちで、低地性の貝塚(殿山貝塚)が存在する、と研究者より指摘されています。調査が、期待されるところですが、行われておりません。

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